白花天女 其の五
弥勒と珊瑚は後始末があるといって先に村の方へと戻っていった。
ついさっきまで水柱を立てていた湖も今はただ穏やかに花に囲まれているだけ。
時折、湖に浮かび上がる月が風に揺れるように波紋をゆっくりと広げていた。
犬夜叉にとっては正夢だったのか。
あまりにも同じような光景。
―――幾重にも重なった夢と現実。
犬夜叉はかごめを木の傍まで抱きかかえてくると、そっと根元に下ろした。
さっきまでの恐怖と緊張感から開放されたせいか、かごめはそのまま気を失っていたのである。
「かごめ?大丈夫か?」
かごめの顔を掬うかのようにそっと手を差し伸べ、頬に手を当てた。
「うん。・・・ごめんね。」
「何言ってやがる・・・。」
犬夜叉はかご目の前に跪いた。
頬に当てた手の温もりがかごめの中に染み込んでくるかのようにさっきまでの緊張が解きほぐされていく。
「無事でよかった・・・」
金色の瞳を少し伏せ、かごめをじっと見つめると、やがて、もう片方の手をかごめの肩に乗せた。
「痛・・・」
「・・・怪我したのか?」
「うん、さっき襲われたとき。・・・引っかかれたのかな?」
かごめは、肩の下、胸元に手を当てた。
「見せてみろ」
そういうと、犬夜叉は「いいよ!」と拒むかごめの手を払いのけ、襟元を少し広げた。
「ちょ、ちょっと!犬夜叉・・・」
襟元を広げた奥に信太郎が爪を立てた後、数本の指の跡がくっきりと残っていた。
血がうっすらと滲んでいる。
だが、この傷は犬夜叉にとって許し難い。
「痛かったか?」
「たいしたこと、ないから・・・」
かごめは襟を戻そうと手を伸ばしたとき、その手は犬夜叉にぐっと握り捕まえた。
(え・・・?)
手を握られた瞬間、かごめは自分の胸元に銀の髪が掛かったのを感じた。
そして、肩に生暖かく這ってくる犬夜叉の、・・・口元。
「・・・痛・・・」
「・・・我慢しろ」
傷口を拭う様に犬夜叉の舌が這ってくるのが今はっきりとわかった。
かごめは何が起きたのか、一瞬頭が真っ白になったが、
やがて耳の先まで熱い何かが上っていく感覚を覚えると
「いいよ!もう・・・」
と握られた手を振りほどこうとしたが、「いいから・・・」の一言で口を紡ぐしか無くなった。
どこに目をやったら、いいものか。
かごめはただ、青白くやさしく光る月に目をやるばかり。
(犬夜叉・・・)
かごめは全身の力が抜けていったのか、
そのまま犬夜叉に身を任せるかのように身を捩るのをやめた。
犬夜叉は、ただ黙ってかごめの傷を舌で拭った。
袖には桔梗からもらった薬があることはわかっていた。
だが、今はそれを使いたくはなかった。
何もかも見透かしたような桔梗。
―――桔梗にはなくて、かごめにはあるものって何だ?
やがて、犬夜叉は握り締めたかごめの手の力を解くと、ゆっくりと腰へとまわした。
傷を拭っていたはずの口元がかごめの首筋を上り、すぐ耳の後ろまで来た。
「・・・い、犬夜叉?」
「・・・黙ってろ」
―――あの時、桔梗は何を望んでいた?
犬夜叉は、絹に包まれた真綿のような桜色の柔肌を舌で這いながら、
さっきの桔梗とのやり取りを思い出した。
柔らかいはずの胸にあるひび割れた傷。
血の気のない冷たい肌。
―――わからねぇ・・・
夢で見たものが現実になった。
追われてた白衣の女は、かごめ。
だが、自分はそれを桔梗だと思い込み、無事を確かめようとした。
・・・だが、桔梗は・・・
――――――この村にかごめがいることを教えたのは私だ
――――――犬夜叉、お前ならわかるはず
「犬夜叉・・・」
暫く体を預けていたかごめはふいに声を上げた。
犬夜叉は、この声に反応するかのようにかごめの首から顔を離すと立ち上がり、
「立てるか?」と木の根元に腰を下ろしていたかごめに手を伸ばした。
「うん。」
かごめは差し出された手を掴み、立ち上がった。
――――桔梗と似ているか?
かごめの巫女姿を映した犬夜叉の目に桔梗の姿が重なっていく。
「もう大丈夫だから・・・。犬夜叉?」
自分が差し出したはずの手はいつの間にか、かごめのやさしいぬくもりのある小さな手に握り返されていた。
かごめは、いつもと変わらぬ無垢の瞳で犬夜叉を映す。
「みんなのところに戻ろう?」
「あ、ああ・・・。帰るか!」
そういうと、いつものようにかごめを背に乗せ、先に村へと戻っていた弥勒達の下へと森を高く駆け上がるように飛び上がった。
―――背に乗せたかごめのぬくもりは、他の誰でもない。かごめだ。
桔梗に体に触れたときの感触よりも、かごめの肩に触れたときの感情。
それが本当の自分だったのではないか。
桔梗の体に触れた手はそれ以上、先へ進むことさえ拒んでしまった。
だが、かごめの肩の傷を見たとき、
自分以外誰一人踏み込むことを許さない聖域と言わんばかりに
思わず口を這わせてしまった。
かごめの血であれど、それさえも忌々しいほどに腹立たしい。
「ねぇ、犬夜叉。」
「あ、なんでぇ?」
背中越しにかごめが声をかけてきた。
「早く楓ばあちゃんのところに帰りたいね。」
「ああ。」
二人は、森の木々を跨ぎ、大きく跳び跳ねていった。
楓の村につくと、弥勒は今回の天女退治の顛末を話した。
聞き終えた楓は、時折うんうんと頷くものの、
とにかく皆が無事だったことが一番とどこか安堵した表情を見せた。
「わしも長いこと巫女をやっとるが、なかなか仙人とは会えぬ。」
「そうですね。まぁ、仙人とはいえ、人の心を操る辺り、妖怪並みに厄介だったと思います。」
「それで、村の連中は大丈夫だったのか?」
「はい。森の湖にいた仙人を退治した後、村に戻ったのですが、長老を始め、他の連中も目を覚ましたように元に戻りました。」
「そうか・・・。」
炉辺を挟み、楓と弥勒が向き合って話している脇で、犬夜叉は黙って壁際で鉄砕牙を肩に胡坐を組んでいた。
「その仙人とやらもやはり、何かの妄執に取り付かれた、いわば妖怪だったのかも知れません・・・」
「仙人だろうが、妖怪だろが、悪もんは悪もんだ。」
けっと犬夜叉は言葉を吐いた。
「かの地からやってきた仙人と出会ってしまった信太郎。恐らく、この男は地仙の資質があったものだろう。」
「ふ・・・む」と楓。
「そして、仙人と出会ったがために、そして逃げ出して生きる妄執に取り付かれ・・・」
「それって、まるで鬼蜘蛛みたいだね」
珊瑚が割って入ってきた。
弥勒と犬夜叉は、はっとしたかのように珊瑚を見つめた。
「だって、鬼蜘蛛ってさ、桔梗欲しさに妖怪に食われたんだろう?
信太郎だって、生きるっていってもなんか邪な感情があったから・・・」
「だから、あのような所業を?」
弥勒は珊瑚の思わぬ想像に成程・・・と顎に手を駆けた。
―――桔梗を手に入れんがために数多の妖怪に体を差し出した悪党『鬼蜘蛛』。
―――犬夜叉に隠れながらも献身的に看病した桔梗姉様。
そう、桔梗姉様とかごめは、本当によく似ている。
顔だけではない。
やさしさや思いやり、そして、心寄せるその想い人さえも・・・
だが、二人ははっきりと違うところがある。
それは・・・。
「楓ばあちゃん、着物ありがとう。」
元気な声で簾を捲り、外から、かごめが入ってきた。
「おお、着物はもう乾いていたか?」
「洗ってくれていたのね。助かった!」
いつもの緑色のセーラー服に着替えてきたかごめは、「やっぱり、これが一番いい!」
と、みんなの前でくるりとひと回りした。
「着替えてきたんだね!やっぱり、かごめちゃんはその着物が一番似合うよ」
珊瑚がかごめに微笑むと肩に乗った雲母も「ミュウ」と声を上げた。
「かごめにはそれが一番じゃな」七宝もまた微笑んだ。
弥勒もかごめのいつもの姿に黙って目を細めた。
「あ、でも血ってシミになるのよね。・・・肩のところ、残っちゃった。」
「どうせ、すぐお転婆でもしてすぐに汚すんだろう?いちいち細かいことを・・・」
「犬夜叉!あんたってどうしてそう口が悪いの!」
「なんでぇ、本当のことじゃねぇか。」
「お転婆ってどういうことよ!」
「そのまんまじゃねぇか!」
楓は戸口で遣り合う二人を見て、うっすらと微笑んだ。
――――自分に素直な表情を出せるかごめ。
――――いつも表情を変えることなく、孤独な人生を選んだ桔梗姉様。
二人の違いとは・・・。いや、もうよそう。姉様はもうこの世の人ではない。
・・・哀れな死人。そして、死んでもなお孤独のまま、未だ彷徨う・・・。
笑顔の裏で、寂しく微笑む桔梗の姿が一瞬浮かんだものの、楓は犬夜叉達をもう一度見つめた。
この時間が永遠に続くことを祈りながら・・・。
そう、この笑顔が永遠に続くことを思いながら・・・。
「ねぇ、弥勒様。実家帰っても大丈夫かな?」
「え、・・・あぁ、大丈夫でしょう。今回の件、かごめ様もお疲れのことでしょう。少しあちらで休まれるといいですよ。」
「そうだよ、かごめちゃん。怖い思い一杯したんだし。」
「それは大丈夫なんだけど、考えてみればテストが近いのよね。」
「また、てすとーってやつか!欠片探す気あんのかよ!」
「犬夜叉!たまにはかごめちゃんを気持ちよく送ってあげたら?」
「そうですとも、犬夜叉。」
「ありがとう。弥勒様、珊瑚ちゃん。」
「大体、お前らも甘いんだよ!って、いっつも、いっつも・・・」
「犬夜叉・・・。おすわり。」
「ぐわっ!」
かごめはリュックを背負うと「じゃ、帰るから」と言い残し、井戸の方へと駆け出していった。
犬夜叉は未だ、土間にめり込んだまま。
「かごめー!」
「これ、犬夜叉。大声を出すでない。」
楓は、ずぅっとお茶を啜る。
「ったく・・・。」
「ごちゃごちゃいっとらんで、見送りにも行ってくればよかろう。」
「なんでぇ、楓ばばぁまで。」
しぶしぶ言いながらも、犬夜叉は土間から腰を上げると、簾に手を掛け、ふっと振り向いた。
「桔梗は、鬼蜘蛛を看てたとき・・・」
「ん?」
「あ、いや、何でもねぇ・・・」
そういって、かごめの後を追って、骨食いの井戸へと走り去っていった。
「・・・今更、じゃ。犬夜叉・・・。」
楓は、あえて聞こえぬ振りをした。
今更、鬼蜘蛛の話をしても始まらない。
既に奈落はいる。
桔梗は死んだ。
だが、お前、犬夜叉は生きておるではないか。
かごめと繋がっている。
もう一度、お茶を啜った。
「かごめの国の飲み物はうまい・・・」
骨食いの井戸。
かごめが足を井戸に掛けたとき、犬夜叉が追いついてきた。
「・・・本当に帰るのか?」
(なんて顔してるのよ・・・)
さっきまでの威勢はどこいったやら。
その顔はまるで、置き去りにされた子犬のように金の瞳を濁らせ、俯いていた。
「すぐに帰るから。ね?犬夜叉。」
「・・・・」
黙ったまま、立ちすくむ犬夜叉。
「じゃ、うちに来る?」
「・・・おめぇんとこか?」
「犬夜叉も疲れたでしょ?うちで休んだら?」
「・・・・」
「うちにきて、ゆっくり寝るといいわ。悪い夢なんか見ないから。」
―――――ああ、そうだ。
―――――かごめの部屋ではなぜか、ぐっすりと寝れたんだった。
「ね?」
かごめは井戸に掛けた足を戻すと犬夜叉のほうに駆け寄った。
躊躇なく手を握り締め、「行こう!」と井戸まで引っ張っていく。
「じゃぁ、行くか!」
そういうと、かごめの体を抱き上げ、ひょいっと井戸に飛び込んだ。
かごめは、ちょっと驚いたが、犬夜叉のさっきまでのしょげた顔が
今では打って変わって、いつもの顔になっているのを見て安心した。
「ねぇ、犬夜叉?」
「あ?」
「あのとき、どうして、傷なめたの?」
「////!、・・・いいじゃねぇか!もう。・・・痛そうだったから・・・。」
「なーんか、やらしかったなぁ。」
「なんだよ!それは!」
腕に抱えたかごめに向かって大声を張り上げたとき。
かごめは犬夜叉の首に手を回し、そっと頬に顔を近づけ、
――――軽く唇をあてた。
「・・・・!」
「仕返し!」
「って、なんで仕返しなんだよ!」
「あー、早くお風呂入りたーい。」
「かごめー!」
End
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ はなたちのまま ‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
ちょっと長い話となってしまいました。
「白花天女」というタイトルを使いたいがためだけに、ここまで書いてみました。
本当はもっと短かったのに気がつけば延々と・・・。
桔梗とかごめの違いを出してみたいと展開を試みたのですが、楽しんでいただけたなら幸いです。