紅 涙 ―くれなゐ― 2 (2007.2.21)
「そなた・・・、何奴じゃ?」
「ここで討ち死にした弟の弔いに参った・・・。」
「弔い・・・。その笛の音は主かえ?」
「さよう。この笛の音は弟がよく聞いてくれた・・・。」
「美しい音色じゃ・・・。」
「そなたこそ、・・・美しい・・・。」
「今宵の月も見事じゃ・・・。」
「・・・・・。」
「欠けていく月もまた美しい・・・。」
「・・・・・。」
犬夜叉は、ただ頭上の月を見上げる目の前の妖しを睨みつけていた。
だが、その魔物は微動だにすることもない。
何にも恐れを辞さないか如く、
一切の警戒心を解くかのように、
ただ夜空に浮かび上がる月を眺めているだけだった。
「何の用だ?」
「月見は嫌いか?」
「わざわざ月の話をするために俺を呼んだのかよ?」
「人と話をするのは、まっこと久しい。」
「それだけのために、俺にあれをつけたのか?」
「・・・少なくとも、お前は来た。」
「犬夜叉・・・?」
妙な胸騒ぎに、かごめは傍にいたはずの犬夜叉を探した。
だが、応えはない。
「・・・・・。」
かごめは、手元に立てかけていた梓山の弓と矢を持つと、
誰に何を告げるともなく、祠を飛び出した。
(犬夜叉・・・!)
暗闇の森をひた走る。
昨夜見つけたように今日も彼を見つけられるだろうか。
風に揺れていた銀の髪に隠れ見えていた金の瞳を思い出す。
(犬夜叉!・・・犬夜叉!)
「あ奴のせいだ!妖しなぞに誑(たぶら)かされよるに・・・。吾妹【わぎも】は・・・!」
「・・・殺せ!捕まえて殺すのじゃ!」
「あのガキ!どこへ逃げよった!」
「半分人間とてあ奴も同じ妖し。・・・殺すのだ!」
「草の根分けてでも探すのだ!」
湖の上に作られた結界はまるで犬夜叉を待ち構えていたかのように
透けて見え、その奥で佇む妖怪の姿を容易に映し出していた。
決して殺意は感じないものの、自分を呼ぶその真意は全く摑めない。
いとも容易く結界の中に引き入れた意図さえ分からない。
鉄砕牙から手を離すことなく、
犬夜叉は目の前の妖怪を睨みつけ、その一挙一動を見据えていた。
「そなたの父は、人間か?」
「・・・お袋が人間だった。それがどうした?」
「そうか・・・。」
それだけ聞くと妖怪は再び天を仰いだ。
月明かりに星の光が溶け込み、波の上で風に揺れるように姿を映す。
「・・・薬は効いた。助かった・・・。」
「そうか。」
礼をするつもりもなかったが、あまりにも静かな空間に
先に痺れを切らした犬夜叉が口火を切る。
だが、妖怪もさして礼を期待もしていなかったのか、
顔を向けることもなく、ただ見上げているだけだった。
「俺に何か用でもあるのか?」
「・・・・・。」
その言葉に女の妖怪はようやく犬夜叉のほうへと
体をむき直し、視線を移した。
「見事な音色じゃ。」
「ここで討ち死んだ弟への調べ・・・。」
「このまま、聞いててもよいかえ?」
「・・・今は、美しいそなたへだけ奏でたい。」
「主の笛の音は美しい・・・・。」
「そなたも・・・、この世のものとは思えぬほどに美しい・・・。」
「犬夜叉!どこ?・・・犬夜叉!」
森の中、茂みを掻き分け走り続ける。
木の葉の生茂った暗闇の中、昨日見た銀の髪を見つけようと
かごめは必死に走り続けた。
(犬夜叉!どこにいるの?・・・犬夜叉!)
その妖は、犬夜叉を見つめた。
「お主に会えたことは、何かの巡り会わせか。」
「何のことだ?」
「お主にしか出来ぬこと・・・。」
「何をだ?」
「お主にしか頼めぬこと・・・。」
犬夜叉は、再び鉄砕牙に手をかけ、身構えた。
何の企みがあるのか、見据えようと思いつつ、
一度は手を離した柄をもう一度握り締めた。
衣を手に取り、ゆっくりと近づく妖怪。
危機感とも警戒とも言えない奇妙な感覚。
結界の中もまた暗く、その妖怪の全貌を知る術はない。
犬夜叉は目を凝らし、ゆっくりと近づく妖怪を待ち構えた。
「人間と妖怪との間に生まれし半妖なれば・・・。」
「・・・・・。」
「なれば、お主は、人の心も妖怪の心も知るものであろう。」
「何が言いたい?」
「人の心、・・・妖怪の心。」
「おめぇだって、妖怪じゃねえか?」
「・・・・・。」
「下手な妖怪よりもおまえのような奴のほうがよっぽど・・・。」
「言うな!」
それまで淡々としていた会話が突如、その妖怪の荒げた言葉で
一瞬のうちに二人の間の緊張感が高まった。
「言うな・・・。」
「・・・・。」
その時、ほんの僅かに妖怪が犬夜叉から視線を逸らし、
彼の後方を見つめた。
「あ奴がお主の想い人かえ?」
「何?」
犬夜叉もまた振り返る。
透けて向こうまで見える結界。
薄ら暈けて見えるは、弓を手に構えたかごめの姿。
「かごめ!」
「ふん。結界に弓矢如き何の役に立とうぞ。」
(ばか!よせ!撃つな、かごめ!)
犬夜叉は結界から飛び出すように駆け出した。
「犬夜叉・・・。」
妖怪がその背中越しへと何かを呟く。
だが、弓矢を構えたかごめの元へと行くべく、
犬夜叉は振り向くことはしなかった。
だが、妖怪は言葉を続ける。
「・・・・・。」
(何?!・・・何言ってやがる?!)
その時には既に矢は放たれていた。
「犬夜叉ー!」
辿り着いた湖の畔。
その湖上に浮かぶ妖しげな結界の中に
犬夜叉の姿を見つけたかごめは梓山の弓を引いた。
「かごめー!」
結界の中から飛び出してくる犬夜叉。
手には変化した鉄砕牙が高々と掲げられていた。
「犬夜叉!」
しかし、かごめは犬夜叉のその行為が何を物語るのか、
まるで理解できなかった。
犬夜叉は結界から飛び出してくると、
かごめの放った破魔の矢目掛け、鉄砕牙を振り下ろしたのだった。
「かごめ!」
矢を切り裂き、打ち落とすもかごめの破魔の矢は
一瞬のうちに鉄砕牙の妖力を吹き飛ばし、錆刀と化させた。
湖に落ちる犬夜叉。
かごめは結界の中にいる妖を睨みつけながらも
湖に沈んだ犬夜叉の姿を捉えようとその岸へと走った。
「い、犬夜叉!」
やがて、水辺から這い出すように犬夜叉が出てくると、
かごめの体を抱え、その場から立ち去るように森へと向かう。
「犬夜叉!どうしたの?!」
「・・・・・。」
何の応えも返さぬまま、犬夜叉はかごめの体を抱き抱え、
森の中へと駆け込んでいった。
「破魔の矢・・・か。」
結界の中で、妖怪は静かにその様子を眺め見つめていた。
「かごめちゃん!」
「犬夜叉!」
珊瑚と弥勒は、突然姿を消したかと思っていた二人が
濡れて戻ってきたことに驚きながらも
二人の無事を確認すると、ほっと安堵の息をついた。
祠の傍で火を起こす。
かごめの濡れた衣服を乾かそうと二人は祠の中に入っていった。
「かごめちゃん、荷物開けるよ?」
「うん。」
かごめは濡れてべとついている制服の上着を脱ぐ。
珊瑚はかごめのリュックからいつも愛用しているタオルを
取り出すと、濡れている背中へとそっと拭うように掛けた。
「ありがとう、珊瑚ちゃん。」
「いいよ、こんなことぐらい。背中、拭いたげる。」
かごめはその言葉に甘えるように長い黒髪を真上へとひとつに束ね、
そっと項を擡げた。
「拭くよ?」
「うん。」
かごめの白い背中にタオルをそっと宛て、水分をふき取る。
少し冷たい背中に珊瑚はふっと感じた。
(かごめちゃん、少し痩せた・・・)
桔梗の死。
あれから、どのくらい日が経ったことだろう。
桔梗を抱き、蹲る犬夜叉の背をじっと後ろから見つめていたかごめ。
あの時には気がつかなかったが、
今になってかごめの体が心なしか小さく見える。
(犬夜叉だけじゃないんだよ・・・、つらいのは・・・)
切なさが胸に込み上げ、ふと手を止め、
少し小さく見えるその背を珊瑚は痛ましく見つめた。
「珊瑚ちゃん?」
ふと背にあったはずの手が止まったことにかごめが振り返る。
「ん?・・・あ、いや、何でもないよ。」
「そう?」
珊瑚は笑顔で返すし、少し痩せた背にタオルを宛てた。
(犬夜叉は気付いているの?・・・かごめちゃん、痩せちゃってるよ・・・)
「犬夜叉。何があったのです?」
「・・・・・。」
「言えぬ様な事ですか。」
火に枯れ木をくべ、黙って腰掛ける犬夜叉に
それ以上問い詰めることも諦め、小さく溜息を洩らした。
七宝と雲母は寝ているのか、姿は見えない。
暫く黙って、天を焦がしゆく炎を見つめていた二人だったが、
やがて犬夜叉は何を思ったのか、立ち上がると祠へと足を向けた。
「まだ着替えを終えてないのでは?」
「かごめ見てくる・・・。」
そういうと、犬夜叉は黙ったまま扉を開けた。
「犬夜叉!まだ着替え終わってないよ!」
突然入ってきた犬夜叉に、珊瑚は怒鳴りつけたが、
かごめはタオルを肩に掛け、前を手で合わせ
「いいよ、珊瑚ちゃん。」
と、そのまま中へと招き入れた。
珊瑚も「かごめちゃんが言うなら・・・」と
祠に二人を残し、扉を閉めた。
(少しは痩せたかごめちゃんを見て犬夜叉も反省すればいいのさ!)
「寒いか?」
「ううん。大丈夫よ。珊瑚ちゃんが拭いてくれたし・・・。」
「そうか。」
暗い祠の中で二人は、そのまま立ち尽くしていた。
徐に祠にと入ってきた犬夜叉。
かごめはさっきの出来事、昨日のあの犬夜叉の態度・・・と
いろいろ思慮を張り巡らしてはいても、
なぜか言葉に出来ず、黙るばかり。
犬夜叉もまた、かごめに何の言葉を掛けたかったのか、
ものひとつ言えず、だまってかごめの脇にいた。
今更何を物怖じする必要があるのかとは思いつつ、
なぜか声に出てこない。
かごめはタオルを握り締めたまま、そっと俯いた。
「あ・・・。」
「ん?どうした、かごめ?」
「うん、これさっき湖に落ちたとき、きっとくっついてきたんだね。」
そういって、かごめは身を屈ませると、
犬夜叉の足の指に絡み付いていた水草を拾い上げ、
ふと笑みを溢した。
「犬夜叉って、靴履かないんだもん。」
「靴?・・・ああ、履物か。」
「足痛くないの?」
「邪魔なだけでぇ。」
かごめは水草を摘むと、他に何かついてないかどうか、
優しく労わるように、慈しむようにと手を添え、
犬夜叉の足をそっと包み込んだ。
犬夜叉は、目の下にいるかごめのその様子に
心奪われるかのように黙って見据え、
その優しい手触りの心地よさにしばし浸る。
だが、それも一瞬のことで、
犬夜叉は、すっと踵を返すと、
「手が汚れるだろ!もういい。」
と、突っぱねた。
「いいの?ゴミついてるかも知れないよ?」
「んなこと、気にしねぇんだよ!けっ!」
鼻を鳴らし、腕組しながら顔を背ける仕草は、いつもの犬夜叉。
そう。
いつもの犬夜叉。
かごめは、その様子を見つめ、自分もまたいつもと変わらないつもりで
ふと犬夜叉に微笑み返す。
その笑みに張り詰めた緊張感が解けていくように
お互いがお互いを求めるようにとそっと見つめ合った。
「着替え終わったら、外で火起こしてあるから、暖まりに来いよ。」
「うん、すぐ行くから。」
そういうと、かごめは犬夜叉が祠から去るのを見送り、
さっさと予備の制服をリュックから取り出し、着替え始めた。
「はぁ・・・・、はぁ・・・・、はぁ・・・・。」
(嫌だ!捕まったら、殺される!)
「に、・・・逃げなきゃ!・・・逃げなくちゃ!・・・あ!」
(邪魔だ!・・・こんなの脱いだほうが走りやすい・・・)
「母上・・・!母上ー!」
暗闇の中、火の粉が音を立て弾ける。
弥勒と珊瑚は、静かに二人が祠から出てくるのを待った。
やがて犬夜叉が祠から出てくると、
火を囲む弥勒と珊瑚の脇へと黙って腰を下ろした。
「かごめ様は?」
「もうすぐ出てくる頃だろうよ。」
「そうですか。」
火へと温まりながらも、さっきかごめが触れた自分の足元へと目をやる。
あの白い手触りと温もりが今だ感じ残る。
犬夜叉は遠い昔のことを思い出した。
――――― 履【くつ】は嫌いだ!
――――― これ!きちんと履きなさい。それでは、まるで獣ですよ!
――――― まるで・・・じゃない。皆、そういって馬鹿にするよ。
――――― 馬鹿にする?
――――― 『半妖』って、耳とか引っ張るよ。
――――― ・・・・
――――― 皆、いじめるよ
(ああ・・・、お袋が死んだ頃・・・か・・・)
(俺が履物を捨てたのは・・・・)
「着替え終わったわよ、犬夜叉。」
かごめは祠から出てくると、火の傍へと駆け寄ってきた。
「暖か〜い。」
かごめは、傍へ弓矢一式を立てかけると、火へと手の平を翳した。
「やっぱり夜は冷えるもんねぇ。」
「そうだね、風邪引かないようにしなくちゃ、かごめちゃん。」
他愛もない会話の最中。
犬夜叉がふと何かを捕らえ、その方向へと目を据える。
その様子に一同にも緊張が走り、弥勒は錫杖を手に身構えた。
珊瑚も飛来骨を、かごめは弓にと手を伸ばした。
「何物だ?」
弥勒は犬夜叉に問いかけるが、何も応えないまま、その先を睨みつけた。
空中を漂いながら、祠の屋根の上に降り立つ妖怪。
「あれ!さっき、結界の中にいた妖怪だわ!」
かごめは弓を握り締め叫んだ。
弥勒も珊瑚も初めて目の当たりにした妖しを見据え、武器を構えた。
「ほお・・・、法師に退治屋もいやるか・・・。」
冷たく見下ろす視線が火を囲む一行を見やる。
「法師、我に説法を説く気かえ?」
「必要とあらば、法力にて滅する!」
「・・・。」
脇で珊瑚も飛来骨を構えた。
だが、その妖怪は鼻であしらうように軽く笑みを溢すと、
犬夜叉とかごめのほうへと視線を移した。
「犬夜叉よ・・・。約束を果たしてもらおうぞ。」
「約束?」
その言葉にかごめも犬夜叉のほうを見つめた。
自分の知らない間にあの妖怪と何の約束を交わしていたというのだろうか。
犬夜叉は、かごめが見つめるも気にも留めず、
正面の妖怪を睨みつけていた。
「さぁ来い、犬夜叉。」
「・・・・。」
「迎えに参ったのじゃ。・・・さぁ。」
ゆっくりと衣を広げ、犬夜叉を誘う。
普段は真っ先に手にかける鉄砕牙に触れることもない犬夜叉。
法師も珊瑚もいつもと違う犬夜叉の態度にいぶかるも
余裕を見せ付ける目の前の妖怪をそのままにも出来ない。
珊瑚は大きく飛来骨を振り上げようとしたときだった。
「やめろ!珊瑚!」
再び、犬夜叉は妖怪への攻撃の手を阻み、飛来骨の動きを止めた。
「あいつは、だめだ。」
「い、犬夜叉?」
「構わぬ。その手を止める事もなかろう。」
「何?」
怪訝そうな目で弥勒も妖怪を見据えた。
「それなら、それでわらわには願ってもいないこと・・・。」
「願い?」
「そうであろう、犬夜叉。」
「けっ!冗談じゃねぇ!おまえの気まぐれかなんかしらねぇが、巻き添えなぞごめんだ!」
「ならば、我と共に来るがよい。」
もう一度。
妖怪は、犬夜叉を呼び寄せんと手を差し出した。
「犬夜叉!」
かごめが突然犬夜叉の前に飛び出し、間に割り込んだ。
「さっきから、何よ?どういうつもり?」
かごめは弓を構え、妖怪を睨みつけた。
「破魔の矢で我が身を貫くか。」
「本当に撃つわよ?」
「撃つがよい。わらわは構わぬ。」
「何ですって?」
「やめろ!かごめ!」
「犬夜叉!」
犬夜叉は、かごめの手から弓を取り上げた。
「珊瑚・・・、あの妖怪、結界を張っているのか?姿は見えるが。」
「ああ、法師様。結界のせいで何の妖怪かはよくわからない。・・・けど。」
「けど?」
「もしかすると、あの妖怪って・・・。」
「なんだ?珊瑚。」
「もしかすると、あの妖怪って毒使い・・・かも知れない。」
「毒使い?・・・というと、妖毒ですか?」
「ああ。人間なら息ひとつで死ぬさ。髪の先まで毒で出来てる。」
「髪まで毒・・・ですか。だが、何故妖毒を操る妖怪が結界を?」
「うん?・・・わからない。それが分からない。」
「・・・・・。」
その息ひとつで人間が死ぬ。
飛来骨で引裂けば、毒が辺り一面に広がるだろう。
風穴で吸い込めば、法師とて命はない。
弥勒も珊瑚も己の武器が使えぬことに
この妖怪とどう立ち向かえばいいのか。
弥勒と珊瑚は、犬夜叉とかごめの後方から、黙ってその様子を伺い始めた。
だが、この妖怪は何故、結界を施してまでここに来たのか。
殺すことを目的としないならば、一体なんのつもりか。
「さぁ犬夜叉、来い。」
「・・・・・。」
「なれば、娘よ。弓を引くがよい。」
黙ったまま、立ちすくむ犬夜叉から視線を移し、
かごめのほうへと顔を向けた。
「撃つがよい。」
「何?弓を?」
「引けばよい。」
「・・・どういうつもり?」
「それで解放される・・・。」
(解放される?・・・どういう・・・こと?)
「なぁ、犬夜叉。」
「ああ?なんでぇ。」
「おまえは人間となって生きていく気はないか?」
「はぁぁ?人間?」
「そう。人間となって生きていく。」
「・・・人間に・・・なれるのか?」
「なれるさ、四魂の玉の力を使えば。」
「・・・。」
「おまえの半分は人間だ。・・・なれるさ。」
「そしたら、おまえは・・・どうなる?」
「私は玉を守るもの。・・・玉が無くなれば、ただの女になる・・・。」
「解放?何から解放されるって言うの?」
かごめは弓を持つ手を下ろし、妖怪へと歩み寄った。
「馬鹿!近づくな!」
かごめの肩を掴むと、自分の背のほうへと回し、
再び妖怪へと目を向け、身構えた。
「おい!妖怪!・・・どういうつもりだ?」
「聞けぬとも構わぬ。」
「何がだ?」
「・・・・。」
「どういうつもりなんだ!」
犬夜叉は叫んだ。
だが、妖怪は微動だにもせず、ただ黙したまま俯いていた。
「ねぇ、何から解放されたいの?何に?」
俯く妖怪の心を覗き込むようにかごめは、犬夜叉の背後から顔を出し、
そっとその様子を伺った。
その瞳には、敵意はおろか、恐れでもなんでもない、慈しむ眼差し。
だが、その瞳に答えは見出せないと思ったのか、
再び犬夜叉へと手を差し伸べる。
「犬夜叉・・・・。」
「・・・・。」
「さぁ、来てたもれ。」
犬夜叉は、黙ってかごめの体をずっと後ろのほうへと押し下げた。
「い、犬夜叉?」
「・・・・。」
「犬夜叉、まさか!」
「おめぇはここで皆と待ってろ。」
「いや!駄目よ!犬夜叉!・・・行かないで、行っちゃいやよ!」
「必ず戻って来っから、待ってろ。」
そういって、妖怪の結界へと飛び上がった。
結界に融けいるようにその姿が消えていく。
「いや!行かないで!犬夜叉ー!」
「私は胸を・・・患っている・・・。長くはない・・・。」
「長くはない・・・とは?」
「刻を刻めぬ・・・とでもいうのだろうか?」
「わらわの刻・・・・、そなたの刻・・・・。」
「指折り数えても、千も無き命・・・。余命いくばくとも無き、我が身・・・。」
「主の笛が聞けぬのか・・・。もう聞けぬのか?」
「一度、・・・ただ一度でよい・・・。そなたを・・・、そなたを・・・!」
「・・・・ならぬ!・・・来てはならぬ!近づくでない!」
「あの笛の音を聞けなくなってから、わらわは結界を張り、一人月を眺めていた・・・。」
「・・・・・。」
「幾度となく訪れる月の満ち欠けを数えていた・・・・。」
「・・・・・。」
「やがて、刻を見ることも考えることもなくなった・・・。」
「・・・・・。」
「おまえが結界に飛び込んでくるときまでは・・・・・。」
「俺とそいつと、どういう関係がある?」
「よう似ておる。その出で立ちは、まるでかの者が戻ってきたかのようじゃ。」
「似ている?」
「そう。最もそのような血の色ではない。・・・あさぎ色の滑らかな・・・優しい色。」
「・・・・・。」
「わらわが通り過ぎる度に人間は死んでいった。」
「・・・・・。」
「振り返れば、幾人もの亡骸があった・・・。」
「・・・・・。」
「このおぞましき体を憎むとて意味もないが・・・。」
「・・・・・。」
「死だけしか齎【もたら】さない我が身になんの価値があろう・・・。」
「・・・・・。」
「笛の音を聞けなくなってから、わらわは・・・息をすることとて苦しい・・・。」
「苦しい?」
「あの声が・・・、あの姿が見れなくなってから・・・。」
「・・・・・。」
「犬夜叉よ。」
「なんだ。」
「この苦しみは、・・・この痛みはなんぞ?なぜここまで苦しいのか・・・・。」
「・・・・・。」
「あの姿、声を思い出すたびに・・・苦しいのじゃ・・・。」
「おめぇ・・・。」
「妖怪にも苦しみがあるのか・・・?痛みはあるのか?」
「・・・・・。」
「人とは、人間とは、何故こんなにも・・・想い惹かれるのじゃ?」
「・・・・・。」
「どうすれば、楽になれる?滅されればよいのか?破魔に浄化されればよいのか?」
「おめぇ、本当に死にてぇのか?」
「死ぬ?・・・そうだな、人間の死とわらわの死と・・・違いはわからぬが・・・。」
「本気か・・・・・。」
「わらわには、生きるも死ぬも分からぬ。ただ・・・。」
「ただ?」
「あの音が聞けなくなってから、この胸に押し寄せる苦しみほど・・・つらいものはない・・・。」
「つらい・・・か・・・。」
祠から飛び出した跡、二人は富士の火口へと訪れていた。
目下には赤々と燃え滾るような溶岩が鈍いながらもふつふつと蠢いている。
「ここなら、・・・おめぇの毒が飛び散っても誰にも危害はねぇ・・・。」
「よい・・・。どこでもよい・・・。この苦しみから解放されるなら、・・・どこでもよい。」
「考え直せ!結界を張ってまで誰も傷つけないように生きてきたじゃねぇか!」
「犬夜叉・・・。」
「これからも、そうやって生きていけねぇのか・・・?」
「・・・・。」
「生きて・・・いけねぇのか・・・。」
犬夜叉は俯き、ぐっと拳を握り締めた。
妖怪の頑なな意思が痛いほど似伝わってくる。
言葉一つ一つは淡と述べられるも、
その言霊は犬夜叉の遠い昔の記憶を髣髴【ほうふつ】させる。
想い人を失い、一人生きゆく孤独・・・
人間と妖怪とでは刻む時の流れがあまりにも違いすぎる。
一人になる孤独・・・
犬夜叉自身、幾度となく体験してきたそれは、
今もなお陰りとなって、それは心に覆い被さる。
早くして母親を亡くし、ただ一人命からがら生きてきた。
かつて孤独を分かり合えた桔梗とも
想いを交わすことなく別れ、そして失った。
「おめぇも人間になりたかった・・・か?」
ふと桔梗のあの時の自分を真剣に見つめてくれたときの顔を思い出す。
「人間?わらわが、か?」
「人間になれれば、・・・とか思ったか?」
「・・・・わからん。人間とは何の力も強さもなく、命さえ短い生き物・・・。」
「・・・・。」
「なれど、・・・だからこそ共に歩み、命を繋ぎ生きる術をよく知っているやも知れん・・・。」
「共に・・・生きる・・・。」
―――――― 人間となって、おまえと共に生きる
桔梗と交わした約束。
―――――― 人間となって生きてみないか
そうだ
あの時、桔梗が向けた矢
少しでも、自分がもっとあいつを信じていれば
信じて、そして人間になっていれば
桔梗は死ぬことはなかった
火口から吹き上げる熱風が二人の体を取り巻き、
互いの衣を靡かせていた。
「犬夜叉。」
「なんだ?」
「あのものは、私が殺した・・・。」
「・・・!」
「我が身に近づきすぎた・・・。」
「・・・・。」
「毒を煽り、血を吐いたときの顔が未だ忘れられぬ・・・。」
「・・・・・。」
「わらわを見つめてくれたあの眼差し・・・、あの瞳から流れた涙が忘れられぬ・・・。」
その体はもう火口の崖近くへと進んでいた。
単を翻る手ももはや力なく、その虚ろな目は
妖怪の類ではなく、ただ哀れみと解放を求める
残された孤独な一人の女の眼差し。
「犬夜叉よ・・・。」
「・・・なんだよ?」
「我が身は、人間を思うにはあまりにも残酷だ・・・。」
「・・・・・。」
「『死』しか招かぬ。」
「おまえ・・・。」
「だが、おまえは半妖。そなたの母もおまえを望んで、世に生み出したのであろう。」
「・・・・。」
「あの娘も、また然り・・・。」
「・・・・かごめ・・・か?」
「ありのままのおまえを見る目は穢れ無きもの。」
「・・・・・。」
「お主を見ると、あのものが生きていた頃を思い出させる。」
「だから、俺を選んだのか・・・?」
「世の理【ことわり】は避けて通れぬ。」
「何故、俺に言う!俺に何を言いたい?!」
「あの娘を想い、必死に我結界に飛び込んできたときから感じていた。」
「・・・!」
「人を想う半妖、・・・犬夜叉よ・・・。」
「・・・・。」
「命を知るとは、こんなにも惨い・・・。」
「・・・・。」
「手を取り合えるなら、・・・その手を離してはならぬ。」
「おい・・・。」
「わらわのように、その理【ことわり】を曲げ、故に苦しむのなら・・・。」
「・・・・!」
「その思いを抱き、天寿を全うし、孤独を生きるほうがどれほど楽か知れん・・・。」
一瞬のことだった。
妖怪は犬夜叉の背に手を回し、袖のうちに包み込むかのように抱きしめた。
「な!・・・何しやが・・・。」
「・・・失うも悲しい・・・、想うも・・・苦しい・・・。」
「な・・・!」
「・・・我君よ・・・」
最後まで言葉を続けることはなかった。
僅かにお互いの体が密接したかと思ったときには、
既に妖怪は身を引いていた。
「おい!」
咄嗟に掴んだ単。
だが、それは何の意味も成さなかった。
女の妖怪は、ふと犬夜叉に静かに笑みを浮かべ、漆黒の髪を靡かせ、
真っ赤に燃え上がる灼熱の海へとその身を投じた。
「おい、おまえ・・・!」
犬夜叉の手に掴んでいた衣一枚が残されていた。
(俺とそいつを・・・)
そっと妖怪が飛び込んだ火口を見つめる。
その妖怪を飲み込んだ溶岩の海の上。
僅かに炎が立ち上るも、それも一瞬にして消え、
元の緩い波だけがとうとうと蠢くだけだった。
手に残る衣。
犬夜叉は最後に残された衣を握り締め、
火口の脇で膝を崩した。
(・・・生きてぇとは思わなかったのか・・・)
火口に落ちていった妖怪のその姿は、
四魂の玉を胸に炎に包まれる桔梗の姿へと被る。
―――――四魂の玉は、私があの世に持っていく・・・
桔梗・・・、俺は、・・・俺は人間になればよかったのか?
おまえは、今でも、・・・今でもそう思っているのか・・・
桔梗・・・・
初めて、あの女の妖怪と会った湖に一人たどり着くと、
犬夜叉は、手元に残った衣を静かにその水面にと投げ入れた。
ゆらゆらと漂う衣は沈むこともなく、
ゆっくりと湖の中心へと流れていく。
ようやく夜が明けるのか、
山影から、すっと朝日が差し込み始め、
湖へと光を注ぎ込んだ。
朝日に色染め上げられた水面。
そして、漂う衣もまた光に晒され、その色を初めて映す。
(おまえの衣は、俺と同じ色だったんだな・・・)
日の光を浴びた湖に紅い衣が溶けていく。
その様子は、まるであさぎ色に一筋の紅い涙が伝うように
静かに揺れ流れていた。
やがて、衣は湖の中へと沈み、二度と浮かび上がることはなかった。
(結局、おまえの名前、聞かねぇままだった・・・・)
祠の前では、弥勒と珊瑚、そして、少し離れたところで
かごめが膝を抱えて座っていた。
「かごめ・・・。」
「犬夜叉!」
太陽も昇り始め、その姿を見せ始めた頃、
犬夜叉は仲間の元へと戻ってきた。
「犬夜叉!」
「帰ってきたんだね!」
無事に帰り着いた犬夜叉の姿にかごめの顔も綻んだ。
弥勒と珊瑚も立ち上がり、安堵の息を洩らしつつ、声をかける。
(弥勒・・・、珊瑚、お前達・・・)
足元でくすぶる焚火の跡。
おそらく一晩中、火を燃しながら、自分の帰りを待っていたことだろう。
(俺の帰りを待っていてくれたんだ・・・)
仲間の視線がなぜか自分の胸に切なく染みる。
「犬夜叉・・・、お帰り・・・。」
「かごめ・・・・。」
その声に、犬夜叉は真っ直ぐに顔を向けた。
「よかった、・・・無事帰ってきて・・・。」
「かごめ・・・。」
弥勒と珊瑚は、犬夜叉の思いもよらなかった行為に唖然とした。
かごめの体を引き寄せると、回りの視線も省みず、
ぐっと抱きしめた。
「な!犬夜叉!あんた、ちょっ・・・。」
「待て、珊瑚・・・。」
そういって、弥勒は珊瑚の手を引き、その場から急いで立ち去った。
「法師様!」
「・・・分かっておやりなさい。犬夜叉もきっとつらいことがあったのでしょう。」
「法師様・・・。」
「暫く、二人だけにしておあげなさい。」
「うん・・・。」
やがて、犬夜叉はかごめの意思も何もなく、
その唇へと顔を寄せ、重ね合わせた。
(・・・い、犬夜叉・・・!)
誰の目も憚ることもなく突然の口付けに戸惑いながらも
かごめもその勢いと真剣な面持ちに飲まれるかのように
その行為を受け入れる。
暫くの間、合わせた唇をようやく解放するも
その体を腕から解くことはなかった。
「かごめ・・・!」
「犬夜叉?」
再び、重ね合わせる唇は力強い・・・というよりは
寧ろ手放さないといわんばかりに強く激しく、
そして、熱い。
「犬夜叉・・・、大丈夫?」
「・・・・。」
「ねぇ、犬夜叉?」
腕の中から、見上げるかごめの瞳は
真っ直ぐに犬夜叉の心の奥を捉える。
腕の中。
抱きしめた愛しくて止まない、離し難い存在。
もう二度と失いたくない存在。
「ねぇ、犬夜叉?」
かごめを想う心。
そして、かごめもまた自分を想う。
そして、自分の帰りを待つ仲間。
重なる想い、信頼、友情。
だが、刻は?
これから、生きていく刻は?
人と妖怪との寿命はまるで違う。
刻み過ぎ行く時間がまるで違う。
少なくとも、弥勒や珊瑚は先に逝く。
そして、かごめ。
井戸を超え、戦国の世と現代【むこう】。
幾重にも重なる不安。
「かごめ・・・。」
「ん?」
「おまえは俺が人間となって生きたほうがいい・・・か?」
「どうして?」
「いや、・・・おまえはどう思っているかと思って・・・。」
「聞くまでもないじゃない?」
「なんで?」
「犬夜叉は、犬夜叉・・・でしょ?」
その応えが応えとなるかどうかは問題ではなかった。
ありのままを映し、ありのままの自身を受け入れるかごめ。
(犬夜叉は、犬夜叉・・・でしょ?)
「かごめ・・・。」
かごめの存在は、犬夜叉の心の陰りに一筋の光を灯す。
―――――手を取り合えるなら、・・・その手を離してはならぬ
妖怪の言葉を思い出す。
手を取ったなら、離さない
そうだ
この手を、この身を離したくない
もう二度と失いたくない
桔梗を失った悲しみ。
愛するものを失っていく悲しみ。
取り残される悲しみ。
その度に募る孤独。
もう一度、固く抱き寄せる。
今頃になって気付く、かごめの少し痩せた背中。
犬夜叉は手に力を込めた。
(俺だけが辛いわけじゃないんだよな。おまえも・・・辛いんだよな・・・)
――――― 見守っている ・・・・
桔梗が残した最後の言葉。
思いのまま、俺は生きていっていいのか?
お前の言う人間になることとは、まだ俺にはわからない。
――――― 見守っている ・・・・
これから生きていく俺を見守っていてくれるのか?
「犬夜叉、みんなのところに行こう?」
差し出された手。
犬夜叉もその手を握り返す。
かごめは優しく犬夜叉に微笑みかける。
「行こう?」
「おう。」
奈落はまだ生きている
琥珀もまだ戻らない
戦いは、まだ続く
かごめ・・・
この戦いが終わったら
この戦いが終わったとしても
変わらず、俺の傍にいてくれるか
そして、俺は・・・
俺は、おまえに言えるのだろうか
「愛が欲しい」 ・・・・・と
おまえは聞いてくれるだろうか
「共に生きていきたい」 ・・・・・と
End
(Comment) by はなたちのまま
「 紅涙 」 くれなゐ とは、古典で「血の涙が出るほど悲しい事」を意味します。
ちょうど、「花皇」編で犬夜叉が妖怪に捕らわれたときに流した血の涙。
多分、あれもその類ではないかと思います。(「悲しみ」を養分としていた妖怪でしたし)
犬夜叉とかごめがやがて選ばなくてはならないもの。
半妖。 人間。 現代。 戦国時代。 付きまとう時間差。
桔梗は、犬夜叉に「人間」になることを勧めた。
かごめは犬夜叉を犬夜叉のままに受け入れている。(多分原作でもそうであると私は見ています)
そして、犬夜叉自身が体験してきた「取り残されていく悲しみ」、「失う悲しみ」。
原作を読み始めてから、ずっと考えていたことでした。
彼が見つけた「生きていく」理由。一筋の光。
それは、「かごめ」であることを強調した上で、
これから考えていかねばならない未来と忘れられない過去をクロスしてみました。
少々(?)暗く重い内容であり、聊か拙い表現にて伝えきれない部分、多々あるかと思いますが、
二人の未来が明るいことを願い、桔梗を見取った後の本当の意味での黎明を見定めて欲しい意を込めました。
ここまで読んでくださった方に感謝を申し上げます。
感想をいただけましたら、幸いです。
【参考文献】
詩集 蒼き彷徨 「青春」 / 旺文社 古語辞典 / 古今和歌集 / 与謝野晶子詩集 他
BGM さだ まさし 「防人の詩」