紅 涙   ―くれなゐ―           (2007.1.28)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一度だけ・・・。ただ一度だけ・・・。」

 

 

 

「ならぬ。・・・これ以上、来てはならぬ!」

 

 

 

「ただ一度・・・、後生でございます・・・・!」

 

 

 

「ならぬ・・・・。近寄ってはならぬ!」

 

 

 

「この想い、遂げられるなら・・・、この命尽きても・・・!」

 

 

 

「来てはならぬと申しておるに・・・!・・・あ・・・!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい・・・、具合のほうはどうだ?」

 

「うん・・・、うう・・・・。」

 

板間の上で伏せたかごめの傍で犬夜叉は心配そうに何度も身を屈み、

その様子を伺っていた。

 

「吐きそう…か?」

 

「ちょっと・・・、でもお腹が痛いほうが・・・・強い・・・かな?」

 

「昨夜も大したもの食ったわけじゃねぇし・・・、どうしたってんだ?」

 

「・・・・・。」

 

無言で青ざめたかごめの表情の奥に犬夜叉は何を感じたのか、

徐に青白くなっている先の顎を捕らえると

ぐいっと自分のほうへと引き寄せ、

血の気の薄くなった唇を舐めるように重ねた。

 

突然のことに一瞬我を忘れ、いつものように瞳を伏せるものの動揺は隠せない。

 

「ん・・・!・・・・いや・・・、何するの・・・よ・・・!」

 

具合が悪いと分かっているはずなのに突然何を自分に求めるつもりか。

かごめはその腕をはがし、眉を顰めた。

 

「馬鹿!そんなんじゃねぇ!・・・匂いだ。お前・・・、何を口にした?」

 

「え?匂いって・・・。だって昨夜の食事を最後に・・・。」

 

「・・・朝飯の前にお前具合悪くなったろ?そん時はどうだ?」

 

「何かって・・・。」

 

かごめは記憶の糸を必死に手繰り寄せ、考えた。

何を口にした・・・というほどの記憶が浮かばない。

 

体調も悪いせいか、いまいち考えが覚束ない。

 

「お前の口元の匂い・・・、そいつは・・・。」

 

「あ・・・、七宝ちゃんが・・・・。」

 

 

 

あまりにも日常的な出来事につい記憶に埋もれていた断片が過ぎる。

 

今朝、皆の食事の用意をしている最中、

忙しく働いているかごめの傍らで何気に七宝が差し出した小さな実。

 

珍しい実を見つけたので、かごめにもやる・・・と

子狐妖怪七宝がかごめに手渡したもの。

 

笑顔で口に頬張る様子を七宝は嬉しそうに見つめていたことを思い出す。

 

そう。あの珍しいものといっていた実をかごめは口にしていた。

 

 

 

「はぁ?七宝?七宝の仕業か!」

 

眉間に皺を寄せ、怒りを込み上げた犬夜叉に寧ろかごめのほうが驚いた。

 

「何よ?七宝ちゃんが今朝小さな実をひとつ貰ったわ・・・。それが・・・原因?」

 

「って、この匂い、妖怪が好むしろもんだ。」

 

「・・・そうなんだ・・・。朝、食事の用意しようとしてたとき、七宝ちゃんがくれたのよ・・・。」

 

「お前、七宝だって妖怪だぜ?」

 

「すっかり、忘れてたわ・・・。七宝ちゃんも何も言わなかったし・・・。」

 

「あの野郎!ぶん殴ってとっちめてやる!」

 

ことのほか、かごめの身を案じる犬夜叉は七宝の仕業と知るや否や、

勢いよく立ち上がると祠の出口へと飛び出そうとした。

 

「い、犬夜叉!おすわり!」

 

「ぐえ!」

 

その剣幕に、かごめは差し込むように襲う痛みを堪えながらも身を起こし、

いきり立つ犬夜叉を制しようと咄嗟に言霊を使い、その足を止めた。

 

思わぬ言霊に犬夜叉はめり込んだ地面から顔を上げ、

かごめのほうを睨む。

 

「・・・おめぇ・・・、どういうつもりだ!」

 

「だめよ!七宝ちゃんを責めないで!」

 

「なに言ってやがる!かごめをこんな目にあわせやがって!」

 

「犬夜叉・・・。」

 

「五六十発殴んなきゃ気がすまねぇ!」

 

「だめよ!犬夜叉・・・・痛・・・。」

 

「かごめ・・・!」

 

お腹を抱え込み、倒れこむかごめをそっと抱き上げ、

元いた床へと戻した。

 

「ありがとう、犬夜叉・・・。」

 

具合が悪くとも、人に対する気配りや思いやりは忘れることはない、

そんなかごめの優しさは荒みきった犬夜叉の閉ざされた心をも

開け放ってくれた。

 

かごめは優しい・・・。

 

だが、そんな彼女を傷つけるものがあるとすれば、

誰であれ、容赦ならない。

 

「おめぇ!七宝のせいで具合が悪くなったんだぞ!分かってんのか!」

 

思わず、怒鳴り声を上げ、怒りを露にする。

 

「七宝ちゃんだって悪気があった訳じゃないわ。寝てればよくなるわよ・・・。」

 

「妖怪の実を食ったんだぞ?人間のお前がただで済むか!」

 

「犬夜叉・・・!」

 

「それに・・・、どんなやつか見なきゃ解毒も探しようにねぇ。」

 

「・・・・・。」

 

「七宝に聞かなきゃならねぇだろ・・・。」

 

七宝を庇うかごめの気持も分からないでもない。

だが、犬夜叉の言葉にも一理ある。

 

妖怪の実を口にしてしまったかごめ。

出来ればすぐにでも解毒し、回復してほしい。

苦しむ姿をただ脇で眺めているわけにはいかない。

 

何も出来ないなんて出来ない・・・・!

 

「七宝になんの実を食わしたのか聞いてくるだけだ・・・。な?かごめ。」

 

「・・・・。」

 

「かごめ?」

 

「やっぱり駄目よ。七宝ちゃんには何も言っちゃ駄目。」

 

「どうして・・・?」

 

「ここで七宝ちゃんに聞いたら、それこそ落ち込んじゃうわ。駄目よ。」

 

「お前、自分がこうなったのは誰のせいか分かってんのか!」

 

「でも、あんな小さな子に責めても仕方ないじゃない!」

 

「・・・・・。」

 

「あたしなら、大丈夫。一日寝てればよくなるから・・・。」

 

「かごめ・・・。」

 

「ね?犬夜叉・・・・。」

 

「・・・・・。」

 

「お願い・・・・。」

 

かごめはそういいながら、もう一度体を起こすと、

犬夜叉の体に腕を伸ばし、顔を近づけた。

 

そっと優しく重なる唇の温もりはいつもより冷たい。

 

かごめのその思いを受け取るように犬夜叉は

重なる口元を軽く吸うと、そのまま折り重なるように

自分も身を屈め、かごめの体を床へと戻した。

 

「わかった・・・。七宝には何もいわねぇ。だが、今日はちゃんと寝てろよ?」

 

「うん・・・。」

 

「解毒になりそうなもん、探してくっから・・。」

 

そういうと、落ち着きを取り戻した犬夜叉は、

静かに立ち上がり、外へ出た。

 

かごめにあそこまで言われては、七宝にどうこう言えない。

 

祠の向こうにある川の傍で弥勒や珊瑚たちと一緒に七宝も

朝食にありついている様子が遠目で伺えた。

 

祠から出てきた犬夜叉の姿に弥勒は気がついたのか、

自分のほうへと近づいてきた。

 

その脇では同じようにかごめの身を案ずる七宝も付いてきた。

 

「犬夜叉、かごめ様の具合のほうはどうだ?」

 

「かごめは?かごめは大丈夫なのか?犬夜叉!」

 

足元で纏わりつくように騒ぐ七宝に目をやる。

正直、七宝自身悪気があっての行いではないのは百も承知だ。

責めてもかごめの具合がよくなるわけでもない。

 

なんの実であったのかを知れば解毒の薬を探すことは容易であろうが、

そうすれば、きっと七宝は自分のせいだと嘆き傷つく。

 

かごめに言われるまでもないが・・・

 

 

 

犬夜叉は、今日一日かごめに安静にしているよう告げ、

弥勒達に後のことを頼むと、薬になりそうなものを探しにいくといい、

皆の元を立ち去っていった。

 

 

唯一の手がかりは、重ね合わせたかごめの唇の味。

 

 

その感触に思慕の余韻を残しつつ、森の中を駆け出して行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり、そなたも余の男と同じであったか・・・・。」

 

 

 

「・・・お前は、・・・幸せであったか?」

 

 

 

「ただ一度の・・・たった一度の抱擁が幸せであったか・・・?」

 

 

 

「つい先まで暖かかったこの体も・・・冷たくなってしもうたのう・・・。」

 

 

 

「そして、また・・・わらわは一人・・・か・・・。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暫く森を走り、自分の唇に残る匂いを手掛かりに

薬になりそうな木の根や葉を捜し続ける。

 

気がつけば、もう既に日は落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。

 

頭上では、つい先ほどまで白く輪郭だけが見えていた月の光も

いよいよ自分の世界を作り出し始めたかのように輝き始めていた。

 

 

「もう、こんな時間になっちまったか・・・。」

 

皆がいるとは言え、やはり具合の悪いかごめを残してきたことは本意ではない。

しかし、薬と思しきものは何一つ手に出来ないまま、

戻るのもどうかと、何気に頭上で輝いている月を見つめた。

 

満月に近いその円の影にかごめの顔が重なる。

 

とりあえず、一旦は戻るか・・・とその足を返したとき、

森の出口の傍にある湖に気がついた。

 

 

(水辺に何かあるかも知れねぇ・・・)

 

 

そこを探してから、戻ってもいいかと薬草探しに諦めがつけない自分に

そこを最後に見てだけ戻ろうと言い聞かせ、湖へと向かった。

 

 

 

 

 

 

静寂だけがその湖に佇むことを許されたかのように魚の跳ねる水音ひとつ聞こえてこない。

縁取られた水草も風にそよぐ気配もない。

 

動物の一匹も居そうにない、奇妙なその雰囲気は、

月明かりだけに照らされた湖を一層暗くさせていることを感じたが、

今はかごめのための薬を探すことだけと犬夜叉はその湖へと近づいた。

 

 

暫く湖畔を歩いたが、めぼしいものは何もない。

 

諦めの付かない犬夜叉は更に奥へと進むように水の中へと入っていく。

 

淀むように浮き上がる泥が足の指に絡まるように吸い付き、

決して気分のいいものではないが、そこに何かあれば・・・という一念が

さらに湖の奥へと足を伸ばさせる。

 

辺から一間ほど進むと、いよいよ、その泥濘も深くなってきた。

 

これ以上進むのは無理と諭した犬夜叉は、

森へ帰ろう、かごめの元へ戻ろうと振り返ろうとした瞬間だった。

 

「・・・!」

 

確かな証拠があるわけではない。

 

長年培ってきた習性だろうか。

それとも野生の勘・・・とでもいうべきであろうか。

 

そこに何かが潜んでいる。

 

何かが・・・。

 

犬夜叉は視線をその『何か』のほうへと据え、鉄砕牙を静かに引抜く。

 

鞘から引抜かれた鉄砕牙が生を受けたかのように脈打ち始め、

雄雄しい唸りを上げ、刃を赤く染め始めた。

 

赤い鉄砕牙。

 

どんなに頑健な結界をも切り裂く赤い刃が犬夜叉の視線とともに的を定める。

 

「何がいやがる?」

 

鋭い牙の上を滑るように舌なめずりし、狙いをつけた場所へと一瞬のうちに

その刃を大きく振りかぶる。

 

 

 

 

「何もんだ!何がいやがる!」

 

 

切り裂いた結界の向こう。

 

赤い刃が戦いの刃へと変化し、柄を持ち替え、犬夜叉は身構えた。

 

 

「おめぇ・・・、誰だ?」

 

「・・・・・。」

 

「人間じゃねぇだろ?」

 

 

切り裂いた結界の向こうには、

漆で染めたかのような黒く見事な模様をあしらった単【ひとえ】を纏った

一人の女が佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おめぇ、何もんだ?」

 

 

手に持つ鉄砕牙を鞘に戻すことはしなかったものの、

刃を下へと下ろし、その女のほうへと歩み寄る。

 

結界の中とはいえ白い靄が掛かっているせいか、

単の色が分かるくらいで、その女の表情は何一つ見て取れない。

 

敵意はないのか。

攻撃を仕掛けて来そうにない女の様子に

聊か警戒を完全に拭えないにしても、

犬夜叉は溜息ひとつを溢しながら、ようやく鉄砕牙を腰元へと収めた。

 

 

「おめぇは何もんだ?」

 

もう一度聞く。

それでも、女の顔を確かめるほどの距離にはならない。

 

お互いがお互いの姿を確かめる程度の間を持たせたまま、

犬夜叉と女は、そのまま、じっと見つめ合った。

 

 

「あの結界はお前の仕業・・・だろ?」

 

「随分、無粋なことをする殿だのう・・・。」

 

「・・・・。」

 

 

艶やかな袖が言葉を発する口元を覆い、その全容を見ることは出来ないが、

その仕草、その声は相当の美しさであることが伺える。

 

が、しかし。

 

それは人間ではない。

 

人間、それも美しい女の姿をした妖怪。

 

恐らく妖怪。

 

犬夜叉は鉄砕牙を納めつつも警戒心を解くこともなく、

じっと相手を睨みつけていた。

 

 

「・・・人の声を聞くのは随分久しい・・・。」

 

「・・・・。」

 

「そなた・・・、毒でも煽ったか?」

 

「わらわにはわかる・・・。お前の口元から漂う匂い・・・。」

 

「俺には毒じゃねぇ。」

 

「その毒では半妖とてさして害はあるまいて・・・。」

 

「・・・・。」

 

「相手には毒ではなかったか?」

 

「わかるのか?」

 

「お前の口元から漂う匂いに混じる甘い匂い程度はな・・・。」

 

「・・・・・。」

 

 

表情はわからずとも女は笑ったに違いない。

 

だが、犬夜叉は自分に敵意があること、ないことは別としても

その一挙一動を見据えつつも、その言葉を聞いた。

 

この奇妙な女の妖怪がなんの目的で結界を張っていたのか、

その目的が見定められないにしても、毒に関する知識はあるらしい。

 

 

「この毒の解毒はあるのか?」

 

「なぜ、わらわに聞く?」

 

「わかるんだろ?毒に詳しいじゃねぇか。」

 

「突然、結界を破って踏み込んできて、それを聞くのか・・・。」

 

「応えろ!」

 

「よほど、大切な人間がおるのだな・・・。」

 

「どうなんだ!」

 

「・・・・ある。」

 

 

その妖怪は淡々と述べる。

だが、解毒がある・・・と応えた瞬間の犬夜叉は違った。

 

かごめの毒消しが手に入るかもしれない。

 

そう思うと、いち早くことを進めたい。

 

 

「そいつをよこせ!」

 

声を荒げ、妖怪のほうへと近づいた。

 

だが、その距離に今度は妖怪が警戒したのか、

宙を浮かすように、すす・・と後ずさりするかのように後退し、

また、元の距離にと戻った。

 

 

「その解毒をよこせってんだ!」

 

いい加減、痺れを切らした犬夜叉は鉄砕牙に手をかけ、

今にも引抜くぞと言わんばかりに身構えた。

 

それでも、女の妖怪は動じる様子も見せない。

 

寧ろ、その会話を楽しむかのように

その口元を袖で覆いつつ、静かに笑みを浮かべていた。

 

 

「その女子、よほど大切なのだな・・・。」

 

「切られたいか?」

 

「そう慌てるな。」

 

 

何もかも見据えたようにいう妖怪は、

そういうと瞬く間に犬夜叉の目の前まで間を詰め寄った。

 

 

「な・・・!」

 

「殺すわけではない。確かめるのだ。」

 

 

そういうと、女の妖怪は単衣から、白魚のような細い指を

犬夜叉の口元まで伸ばすと、僅かの距離を残し、その動きを止めた。

 

 

「そなたの名はなんと申す?」

 

「・・・犬夜叉・・・だ。」

 

「解毒をやろう。これを飲めば、やがて半刻もすればよくなるであろう。」

 

「・・・・。」

 

 

その手から、どこから取り出したのか、小さな包みをひとつ

犬夜叉へと手渡した。

 

 

あっさりと渡された解毒の薬。

 

安易に渡していやしないか?

思わず勘ぐった。

 

もし、これを飲むことでかごめの身に何かが起きては元も子もない。

 

 

「本当に・・・解毒なんだな・・・?」

 

「人間を殺して何の得になろうぞ?」

 

「・・・・・わかった。・・・こいつは貰っていく。」

 

 

手に取った包みを大切に懐にしまい込むと犬夜叉は

さっさとかごめの元に戻ろうと踵を戻したとき、

背後から、女の妖怪が声をかけてきた。

 

 

「犬夜叉。」

 

「なんだ?」

 

「この結界から出たらば、必ずや水へ・・・。」

 

「・・・・ああ、分かっている。」

 

 

犬夜叉は女の妖怪に向かい、振り向き様肩越しに軽く頷いた。

 

 

「それから、もうひとつ。」

 

「・・・・。」

 

「明日、またこの刻限にここに来てはもらえぬか?」

 

「なんでだ?」

 

「解毒の礼に・・・といってもよいであろう?」

 

「解毒が手に入ればお前にはもう用事はねぇ。」

 

「待っておる。わらわは・・・待っておるぞ。」

 

 

 

その言葉が終わらぬうちに既に犬夜叉は元来た

結界を切った場所のほうへと向かっていた。

 

いつの間に結界は修復されていたのか。

 

切り裂いた場所さえ見当たらなかったが、

それは犬夜叉の体を容易にすり抜けさせた。

 

 

(明日また来いだと?・・・なんのつもりだ・・・!)

 

 

犬夜叉は結界を飛び出すと、その足で勢いよく湖の中へと潜った。

 

いつしか頂上まで上り詰めた月が水面に揺れる銀糸を

美しく靡くのを事の外際立たせるかのように光を落としこんでいる。

 

暫く、水の中を揺らいでいた銀の髪と緋色の衣は

岸辺へと上がり、森の中へと掛けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆の元へと辿りついた犬夜叉は、手に入れた解毒の薬を

早速かごめに与えようと祠へと駆け込んだ。

 

 

 

「かごめ、具合はどうだ?ん?」

 

「・・・犬夜叉・・・。戻ったんだ・・・。」

 

「薬が手に入ったぞ。飲めるか?」

 

「・・・うん。」

 

 

 

今朝と変わらず、痛みを堪えながらも

床に伏すその様子は何度見ても居た堪れない。

 

 

幼少時代。

母親の最後の頃の記憶とそれは被る。

 

日に日に体力が衰え、痩せゆく体。

元々気丈ではなかった母親の小さくなっていく背を

犬夜叉は黙って見つめるだけでしかなかった、あの頃。

 

初めて愛した女、桔梗とは、その最期を自分の腕の中で、

ただ穏やかな笑みだけを残し、天へとその魂を冥途(めいど)へ見送った。

 

・・・・最後に交わした口付けは、唯一、自分が桔梗にしてやれた女への無残の念。

 

 

 

もうこれ以上、大切なものを失うわけにはいかない。

 

 

 

犬夜叉は、かごめのリュックの中から、

手馴れたように水を詰めたペットボトルを手に

横たえるかごめの脇へ腰下ろし、

弱弱しい背に手をかけ、上半身を起こした。

 

 

「飲めるか?」

 

「こんな遅い時間になるまで探してくれたんだ。・・・ありがとう、犬夜叉・・・。」

 

「馬鹿いってんじゃねぇ。・・・薬飲め。」

 

 

そういって、包みを渡そうとした瞬間。

再び、恐怖が襲い掛かる。

 

 

 

もし、あの女妖怪が自分を騙していたとしたら?

 

かごめがこれを飲むことで何か取り返しの付かない事態を招いてしまったとしたら?

 

 

 

犬夜叉は、かごめの体を片手で支えると、

手にしていた解毒の薬を自分の口の中へと運んだ。

 

 

「・・・え?・・・犬・・・夜叉?」

 

 

黙って、かごめを見つめたまま、ペットボトルの水を己の口へと含ませる。

 

 

「ちょ・・・、い、犬・・・!」

 

 

 

 

 

 

 

―――――これが毒だとしたら、俺もお前と一緒に逝く

 

―――――お前一人、先に逝かせやしない

 

 

 

―――――もう、決して、お前を離しやしない

 

 

 

 

 

口に含ませた薬をそのまま、静かにかごめの口へと流し込む。

 

ほんの僅かに見せた抵抗が雫となって顎に細い線を描き、

細い首筋に伝い落ちていく。

 

やがて、静かに喉が動き、飲み干すことを確認するが、

重ねた唇を離すことはできなかった。

 

流した液体が口から無くなったことが分かっていても

それでも、その愛おしい唇から身を離すことができない。

 

 

含んだ水で少し冷たくなってしまっている舌を

犬夜叉は、そっと押し込み、相手もまた自分と同じように冷えたことを

確認するかのように内側を探る。

 

 

「ん・・・んん・・・。」

 

 

力では決して誰にも劣ることのない強い腕の中で

かごめは、その身を預けるか如く力を解いた。

 

柔らかい黒髪から、優しい香りが抱えた腕の中で広がっていく。

 

 

「かごめ・・・。」

 

 

ようやく離した口からは、愛おしい名しか出てこない。

 

 

「かごめ・・・。俺のかごめ・・・。」

 

 

床に伏した母の面影を重ね、腕の中で消えていった桔梗をも被らせ、

もうこれ以上、この腕の中から大切なものを失いたくはないという

切なる想いが否が応でも激しく強く胸のうちに込み上げる。

 

 

「かごめ・・・!」

 

「・・・犬夜叉・・・。」

 

 

もう少し、あと少し・・・力を入れていたならば、

その華奢な体は間違いなく砕かれたのではないか、というほどの熱い抱擁。

 

時として感じる震える犬夜叉の肩の動きに

かごめは、彼の腕の中で自分の存在がどれほどのものかであったを知り、

そしてまた、その想いを余すことなく受け止めたい・・・と

心の中で固く誓い、体の痛みとは裏腹にただ溢れてくる憐情を胸に

そっと瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

そのまま、時が止まったかのようだった。

 

 

犬夜叉はかごめの体を抱きしめたまま

床の脇に座り込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

謎めいた妖怪から貰った解毒の薬の効果がどう出るか。

 

一瞬でも、離れてしまったら、・・・離してしまったら・・・。

 

もう再び、この瞳が自分を見つめることをしなくなるのではないか。

 

 

―――――再び、失う恐怖。

 

 

 

 

 

具合が悪いと分かっているかごめの体を床に戻すことを躊躇う理由。

 

 

「・・・犬夜叉?」

 

 

だが、今、かごめの声がようやく自分の名を呼んだとき。

 

 

「かご・・・め・・・?」

 

「犬夜叉・・・。」

 

 

その深憂なる心の闇に光明が差し込むかのように

犬夜叉は金の瞳を大きく見開き、腕の中のかごめを見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よかった・・・。薬が効いたようだな。」

 

「うん、さっきまでのが嘘みたい。」

 

 

かごめは、いつもの眼差し、いつもの笑顔で犬夜叉を見つめた。

 

 

「心配してくれて・・・、ありがとう。・・・犬夜叉。」

 

「馬鹿なこといってんじゃ・・・ねぇ。」

 

 

もう一度、向き直しお互いの体をしっかりと合わせ抱き合う二人。

 

かごめの深い黒々とした瞳が俄かに潤む。

犬夜叉のかごめに対する深い恩愛の喜びが一筋の涙となって頬を伝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かごめの体調が元に戻りつつあることを弥勒達に告げようと、

犬夜叉は先に祠を出、皆の待つところへと向かった。

 

 

「そうですか・・・。薬が効いたのですね。」

 

「犬夜叉もたまには気の利いたことするんだねぇ。」

 

 

焚き火を囲み、皆の顔が安堵に緩むのを炎が照らす。

 

七宝もまた雲母とともに跳ねて喜ぶ様子を犬夜叉は脇目で眺めた。

 

 

(かごめの言うとおりだったな・・・)

 

 

かごめの回復に喜びの声を上げ、笑う七宝に責め立てず、

事なきを得たことだけを今は素直に甘んじる犬夜叉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「犬夜叉ー!」

 

 

暫くして、かごめは祠から顔を出し、転がるように駆け出すと

犬夜叉達のほうへと小走りに駆け寄ってきた。

 

 

「かごめ!何起きてんだよ!」

 

「もう、そんなに動いても大丈夫なんですか?」

 

「かごめちゃん!」

 

 

弥勒や珊瑚もまた、その回復振りに驚いたように駆け寄るかごめを見つめた。

 

 

「かごめ!本当にもう具合は大丈夫なのか?」

 

 

犬夜叉から回復の報を聞いてはいたものの、顔を見るまでは心配でならなかったのか

七宝は、かごめの手の平に飛び乗り、その顔を神妙な面持ちでじっと見つめた。

 

 

「ごめんね、七宝ちゃん。もうよくなったわ。」

 

「本当に無理してない?かごめちゃん。」

 

 

珊瑚もまた同じようにかごめを見つめた。

 

 

「犬夜叉のくれた薬がよく利いたみたい。もう大丈夫よ。」

 

//// け!」

 

 

少しばかりの照れと俄かに脚光を浴びたかのような雰囲気に馴染めないのか、

小鼻を鳴らしつつ、緋の水干の袖の中で腕を組みながら、

犬夜叉は顔を逸らし、その場から立ち去ろうと身を返した。

 

照れ隠しの振る舞いに珊瑚は呆れたかのように

「そんなに照れることないじゃないか」と呟く。

 

 

「犬夜叉!待ってよ!」

 

 

その場から立ち去ろうとした犬夜叉を追いかけようと

足を伸ばしたときだった。

 

緋の衣の袖の下のほうで、きらりと光る何かが目についた。

 

 

(あれ?)

 

 

「ちょっと犬夜叉!・・・ねぇ、待って!」

 

 

かごめは急いで犬夜叉に近づき、犬夜叉の歩みを止めた。

 

 

「あ?何だよ?」

 

「ねぇ、なんか付いてるけど、これ・・・。」

 

 

軽く身を屈み、袖の下のほうに手を伸ばした。

 

 

「これって・・・。」

 

 

「あ?何付いてるって?」

 

 

そういいながら、何事かと犬夜叉もまた、その視線の先に目を向けたときだった。

 

 

「ねぇ、取るわよ?」

 

「馬鹿!触るんじゃねぇ!」

 

「!」

 

 

突然の大声に少し離れた場所にいた弥勒達も驚き、二人のほうへと目をやった。

 

一番驚いたのはかごめだった。

 

 

「・・・な、何?」

 

「触るんじゃねぇ・・・。」

 

 

伸ばしかけていたかごめの手を振り払い、犬夜叉は袖を返し身構えた。

 

 

「何事だ?犬夜叉。」

 

 

錫杖を手に弥勒が駆け寄ってきた。

 

 

「何でもねぇ。」

 

「・・・・。」

 

「なんでもないわけがないだろう。どうした?かごめ様に怒鳴りつけるなんて・・・。」

 

「うるせー!お前には関係ねぇ!」

 

「犬夜叉・・・。」

 

 

その遣り取りにかごめは立ち尽くし、振り払われた手をぐっと胸元で握り締めた。

 

 

「ちょっと出てくる・・・・。着いてくんなよ。」

 

「犬夜叉!どこへ行く!」

 

 

弥勒の言葉に聞く耳を持たぬかのように犬夜叉は一人、

夜の森の奥のほうへと去っていってしまった。

 

弥勒はふう・・・と溜息を洩らすとかごめの方へと向き直り、

何があったのかと問いただしたが、それは徒労に終わった。

 

かごめ自身も何があったのかがまるでわからない。

 

 

「かごめ様、大丈夫ですか?」

 

「・・・うん。」

 

 

俯くかごめに珊瑚はそっと肩に手を添え、慰めるかのように

かごめのほうを見つめた。

 

 

「まだ体調もよくなったばかりだし、無理しないで祠で横になったら・・・?ね。」

 

「うん・・・。でも、やっぱり気になる。ちょっと様子を見てくるわ。」

 

 

そういうと、犬夜叉が向かった森のほうへとかごめもその後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「母上?」

 

 

「・・・お前は、もうすぐ一人になるであろう・・・。」

 

 

「・・・。」

 

 

「これから、幾多の試練がお前を待ち構えている・・・。」

 

 

「辛いこと、悲しいこと・・・、たくさんあるかと思う。」

 

 

「・・・母上・・・。」

 

 

「だが、お前は強い子だ。・・・優しい子だ。」

 

 

「母・・・上・・・?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗い森の中でも一際目立つ犬夜叉の銀色に靡く髪が

僅かに差し込む月夜に照らされ光り輝いている姿をかごめは見つけた。

 

 

「犬夜叉・・・?」

 

 

だが、その声に言葉は返ってこなかった。

 

握り締めた手元を見つめるも、その焦点は定まっていなかった。

 

 

「犬夜叉・・・。」

 

 

もう一度、さっきよりも声を落とし、そっと近づく。

 

 

その足元が草を踏みつける音で犬夜叉は我に返るように、

はっとしながら、ようやくかごめを見つめ返した。

 

 

「かごめ・・・。来たのか・・・。」

 

「どうしたの?・・・なんか、あったの?」

 

「いや、なんでもねぇ。・・・それよりもさっきは、・・・悪かった。」

 

「別にそんなこと気にしていないけど・・・。」

 

 

 

(それよりもあんたのほうが心配よ・・・)

 

 

 

素直に詫びる犬夜叉だが、その面持ちに潜む陰を見逃すわけにはいかなかった。

 

 

あの時、かごめが水干の袖から拾い上げようとしたもの。

 

そして、犬夜叉がそれを阻もうとかごめの手を振り払ったこと。

 

 

(あれは、誰のものだったの・・・?・・・犬夜叉・・・)

 

 

 

 

 

かごめの見つけたもの。

 

 

それは、長い一筋の黒髪だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その翌日。

 

一行が寝静まったことを見計い、犬夜叉は一人、

昨日訪れた湖にと向かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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