乱  ―5―             (2007.5.24)

 

 

 

 

 

 

 

 

かごめは部屋に戻ると、戦国時代に戻るためにと用意していた

梓山の弓を手に、ドアノブに手をかけた。

 

ふと毀れる溜息。

 

いつもなら、犬夜叉が迎えに来ていてもおかしくなかった。

 

ましてや、自分が具合悪くなったのを

身を切るような思いでここまで連れ帰ってきてくれた彼のこと。

 

 

今日は来ない・・・・

 

 

躊躇う手。

 

ドアノブを握り締めたまま、かごめは俯いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「かごめ・・・。」

 

 

そのときだった。

 

 

「・・・・え?」

 

 

思いがけぬ気配。

振り返る。

 

カーテンが揺れる向こう。

もう沈み姿も見えなくなっていた夕日の前に

緋色の衣が佇んでいた。

 

 

「犬夜叉・・・。」

 

「かごめ。」

 

 

対照的な位置に二人は立ちすくみ、見つめあった。

 

たかが数日の時間と距離。

その間にそれぞれの心に湧いた負の陰り。

 

 

かごめは手に取った弓を握り締め、

金の瞳、真っ直ぐに見つめる眼差しに僅かに目を細め、

小さな声で呟いた。

 

 

「来てくれたんだ・・・。」

 

「ああ。」

 

「・・・・・。」

 

「具合はもう、・・・いいのか?」

 

「うん。大したことなかったし、もう大丈夫。」

 

「そうか・・・。」

 

 

一瞬の間は確かにあった。

 

だが、最初に足を伸ばしたのは犬夜叉だった。

 

 

「かごめ!」

 

「!」

 

 

広い大きな胸板、水干の袖の中に包まれていく自分。

 

その腕は小さなかごめの体をすっぽりと覆った。

 

 

「かごめ・・・。」

 

「あ、・・・犬夜叉・・・。」

 

 

やはり彼には適わない。

 

彼の直向な愛情に戸惑う理由が見つからない。

 

かごめは微かに頬を高揚させ、その腕の中、

胸の内にと顔を鎮めようと体を傾きかけたときだった。

 

 

「・・・・かごめ?」

 

「な、何?」

 

 

勢いよく引き剥がすかのように肩を掴み、

かごめの目線まで身を屈ませ、鋭い視線で見やる犬夜叉。

 

さっきとはまるで正反対の勢いをかごめは感じた。

 

 

「お前、あいつに会ってたのか?」

 

「・・・あ。」

 

 

恭平に掴まれた部分に僅かに残る男の匂いに

犬夜叉の嗅覚は見逃すはずはなかった。

 

 

「何故あいつと会った?どうしてお前の体に匂いがついてる?!」

 

「犬夜叉!落ち着いて!」

 

「かごめ!」

 

 

犬夜叉は肩から漂う『奴』の匂いに激しく動揺すると共に

それを許したかも知れないかごめに俄かに膨れ上がる情炎を燃え滾らせ始めた。

 

 

「今すぐ脱げ。」

 

「え?」

 

「そんな匂いのついた服なんか着てんじゃねぇ!」

 

「きゃ・・・!」

 

 

犬夜叉は声を荒げ叫ぶと、

かごめの腕を掴み、勢いよく制服を捲り上げ、

そして部屋の隅へと投げ捨てた。

 

手に持っていた梓山の弓が音を立て、床へと落ちる。

 

舞い落ちた紅いスカーフ。

 

腕を引き込まれた勢いに、かごめはベッドにと倒れこんだ。

 

が、すぐさま犬夜叉はかごめの両手を掴みあげると

上半身を起こすように自分に引き寄せ、さらにと睨みつけた。

 

胸元につけられた白い下着、その真下では

激しく鼓動がなっていただろう。

 

スカートが捲りあがり、艶かしい太ももが露になるも、

かごめは黙ったまま、高まる緊張を押し殺し、

犬夜叉を見つめた。

 

 

「どうして奴と会わなきゃいけない?」

 

「・・・犬夜叉。」

 

「何故、会う必要がある?」

 

「・・・・。」

 

「お前に触れた。どういうつもりだ!」

 

「犬夜叉!」

 

「ぶった切る!」

 

「違うのよ!」

 

 

かごめの声が部屋に響いた。

 

 

「彼に会ったのは、ちゃんとしたかったからなのよ・・・。」

 

「何をだ?」

 

「私には彼の気持に応えられないと、・・・ちゃんと言ってあげなきゃ・・・。」

 

「・・・・。」

 

「あんたのこともそうよ。乱暴な我儘な奴だと思われているのは嫌なのよ。」

 

「・・・・・。」

 

 

犬夜叉は、淡々と言葉を続ける声に耳を傾けるも

掴んだ手を広げつつ、ゆっくりとベッドへと倒した。

 

乳房を覆う白い布から、隠れ見える紅い跡は自分がつけた愛した刻印。

 

よく見ると、それはいくつも散りばめられ、

激しかった行為の名残をそこにと留めていた。

 

 

 

誰にも触れさせたくない、

誰にも見せたくない、

 

存在そのもの。

 

 

過ぎる記憶。

 

かごめを押し倒し、その体の上に覆いかぶさっていた

忌々しい光景。

 

彼だけではない。

もしかして、それはまた他の誰かによって

なされるかもしれない未来の不安。

 

 

「・・・許せねぇ。」

 

「犬夜叉・・・。」

 

「殺す!」

 

「犬夜叉!」

 

 

犬夜叉はベッドにかごめを残し、

元来た窓へと飛び上がった。

 

 

「犬夜叉!」

 

「・・・・!」

 

 

かごめはあられもない姿のまま、犬夜叉の背に飛びつき、

胴へと手を回し、ぐっと固くしがみ付いた。

 

 

「やめて!犬夜叉!」

 

「かごめ!」

 

「そんなことしちゃだめ!」

 

「お前、あいつに何されたかわかってんのか!」

 

「でも、駄目だったら!」

 

「かごめ!」

 

 

犬夜叉は振り返り、自分にしがみ付いているかごめと向き合いなおし、

華奢な二の腕を握り締めた。

 

 

「言ってわかるような奴かよ!」

 

「犬夜叉!」

 

「言ってわかるような奴なのかよ!」

 

「じゃ、あんたは言ったらわかるの?!」

 

「何?」

 

「あんたはわかる・・・の?」

 

 

 

 

見上げた瞳から溢れる涙。

 

だが、真っ直ぐに自分を見つめる視線に犬夜叉は

掴んでいた手から力を抜いた。

 

 

「何が・・・だよ?」

 

「あんたはわかってくれるの?」

 

 

大きな雫が幾つも毀れ、絨毯にと染みこんで行く。

 

 

 

 

そうだ

 

 

かごめは泣いていた

 

 

楓の小屋で泣いていた理由も聞いてはいない

 

 

 

何を?

 

何が?

 

 

何がお前を泣かせてるんだ?

 

 

 

 

 

 

「おい、かごめ・・・・。」

 

「言えば、あんたはわかってくれるって言うの?」

 

「俺が何だって・・・・。」

 

「行かないで!」

 

「・・・・・!」

 

 

 

かごめは激しく泣きじゃくりながらも

犬夜叉へと再びしがみ付くように抱きついた。

 

回した手に力を込め、顔を埋め涙を流す。

 

 

 

 

 

 

行かないで?

 

どこにだ?

 

 

俺がどこに行くっていうんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かごめ?お前何言ってんだ?」

 

「犬夜叉!」

 

 

小さな手が水干を握り締めていた。

 

 

今まで何度となく抱き合ってきてはいたが、

これほどまでの力を犬夜叉は感じたことがない。

 

 

「俺が・・・どこに行くってんだ・・・よ?」

 

「・・・・・。」

 

「お前を置いてどこに行くってんだよ!」

 

 

必死にしがみ付くかごめを抱き返すように

その体を覆った。

 

 

かごめが泣く理由と泣いた理由と、

そして、今の言葉と。

 

 

 

俺がお前を置いて?

 

どこに?

 

 

 

「かごめ?お前は何を言っている?」

 

「・・・・。」

 

「俺が・・・、一体俺がどこに行くって・・・・。」

 

「あの日から、・・・・ずっと思ってた・・・・。」

 

「あの日?」

 

 

 

 

 

 

 

桔梗を見送った後、旅の途中で出くわした妖怪『花皇』。

 

 

 

 

 

 

―――――悲しかったんですね?

 

―――――この世で一番愛した女性【ひと】を失ったことが悲しかったんですね?

 

 

 

 

―――――その女性【ひと】の後を追って死にたいと思うほど

 

 

 

 

―――――悲しかったんですね?

 

 

 

 

 

 

 

 

あんたは何も言わなかった

 

ただ、目の前の妖しを倒すことだけを考えていたんだと思う

 

 

でもね

 

応えを言わなかったよね

 

 

 

桔梗の後を追って行きたい?って聞いたとき

 

あんた、何も言わなかったよね

 

 

 

 

 

桔梗を失った悲しみの深さは確かに大きいわ

 

 

だって、一番大切な人だったんだもの・・・ね

 

 

 

でも、それでも

 

 

やっぱり駄目よ

 

 

 

 

 

後を追って死にたい・・・・なんて思って欲しくない!

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・俺が?」

 

 

大粒の涙を流し、必死に訴えるかごめ。

 

犬夜叉は両手で顔を覆い、泣き続けるかごめを

もう一度固く抱擁し、耳元で呟いた。

 

 

「俺は・・・・・。」

 

 

確かに桔梗を失った後の自分は、その痛み・悲しみは

自分一人で負いなし責【し】おなねばならないものと思っていた。

 

 

 

本当は、自分よりもかごめのほうが深く傷ついていたというのに・・・・

 

 

 

「俺がそんなこと考えているとでも思っていたのか?」

 

「・・・・・。」

 

「どうして、お前を置いて・・・・。・・・かごめ・・・!」

 

 

抱きしめた腕に力が入る。

 

 

「命に代えてでも私を守るって・・・、守り通すって言ってくれたよね?」

 

「ああ。本気でそう思っている。嘘はねぇ。」

 

「・・・嫌なのよ。嬉しいけど、でも嫌。」

 

「かごめ?」

 

 

意外な言葉に思わず抱きしめた体を引き剥がし、

潤んだ黒い瞳を見つめる。

 

その瞳に溢れる澄んだ雫が頬を伝い、

犬夜叉の手にも毀れた。

 

 

「あんたを失ってまで、奈落に打ち勝とうなんて思わない・・・。」

 

「かごめ・・・・。」

 

「あんたのいない世界なんて嫌・・・。」

 

「犬夜叉がいなくなるなんて嫌なのよ!」

 

 

零れ落ちる涙。

 

その言葉と同時に犬夜叉の顔を包むかのように

腕をかけ抱きしめるかごめの細い腕。

 

 

自分を失いたくないと泣き叫ぶかごめの強い思い。

 

 

「かごめ・・・・。」

 

「言ったじゃない?ずっと一緒にいるって・・・・!」

 

「・・・・・。」

 

「ずっと傍にいるって、言ったじゃない・・・・。」

 

「・・・俺は・・・・。」

 

 

 

そうだ

 

 

そうだったよな・・・・

 

 

お前が泣くときは、いつも俺のことを思って泣いていたんだよな

 

 

 

俺のために泣いてくれるんだったよな

 

 

 

 

どうして泣くのか・・・・

 

 

聞くまでもなかったんだ・・・・

 

 

 

 

お前は俺のためだけに、

いつも俺のためだけに泣いてくれるんだった・・・・・

 

 

 

 

―――――一緒に行こう・・・・

 

 

 

桔梗の誘【いざな】う手が見えたとき

 

あの時、思った

 

 

そこに行けばいいのか

 

 

どうしようか

 

 

 

確かに迷いはあった

 

 

そこに行けばいいのか、迷った

 

 

 

 

でも、その時、確かに俺はお前の声を聞いた