衝動    ―かごめ―      2006.11.20

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、今日もかごめちゃん、学校休みでしたよぉ。」

 

「そっか・・・。なんかの病気?」

 

「んー、前は『耳から蜃気楼が噴出した』とか言ってたけど・・・。」

 

「蜃気楼?!」

 

「今度はなんだろうね?」

 

「とにかく、なんかの病気だって。」

 

「ほんとに病気がちなんだ。」

 

「面会謝絶多いし・・・。」

 

 

石田恭平は、ふと首をかしげ、アスファルトを見下ろし、考え込んだ。

ここ暫く、・・・夏祭り以来会ってはいない。

 

空手の強化合宿もあり、自由な時間も満足に取れず、

かごめに会いたい気持だけを悪戯に募らせ、

ようやく今日にこぎ付けた。

 

しかし、当の本人は学校を休み、結局今回も会えずじまい。

 

 

「今度、見舞いにでも行ってみるよ。」

 

「そうね、もしかしたら会えるかも知れないし。」

 

由加が申し訳なさそうに恭平を見つめた。

取り巻くかごめの旧友たちも同じように見つめる。

 

「また、今度来るよ。いつもありがとう。」

 

「うちらは別に構わないんだけど・・・。」

 

 

 

(見舞いがてら、出直すか・・・)

 

恭平は、かごめの級友たちと別れ、

とぼとぼと家路に着く。

 

 

(病気がちって感じには見えないんだよな・・・)

 

目の前にちらつくかごめの浴衣姿が離れない。

 

(綺麗・・・だった、よなぁ・・・)

 

ふと気がつけば、いつも通り抜ける公園の入り口に差し掛かっていた。

公園の中で人が数人屯っている。

 

(・・・・・あそこは・・・)

 

初めてかごめと出会った場所。

 

数人のチンピラ達に怯むことなく立ち向かってきたときの彼女の瞳。

 

甘い香りが風にのって、自分の鼻を軽く擽る。

 

「そうだった・・・。あの時、彼女クレープ投げつけたんだっけ・・・。」

 

 

目の前を過ぎ行く人々の中に、初めてであったときのかごめの顔を

思い起こし、重ねていく。

 

 

 

 

(会いたい・・・!・・・もう一度会って話をしたい・・・!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

湯に浸り、岩へと寄りかかりながら、かごめと珊瑚の二人、

夜の沸き湯で、戦いに疲れた体を癒す。

 

久しぶりの湯に二人の会話は弾んだ。

 

「いい湯だねぇ、かごめちゃん・・・。」

 

「そうね、久しぶりね・・・。」

 

見上げると、その夜空には満天の星が眩く光り輝いていた。

 

(本当に久しぶりだわ・・・)

 

穏やかな休息。

湯に浸かりながら過ごすことなど本当に珍しかった。

 

しばし、湯にまどろみながらも、珊瑚は夜空を見上げていたかごめを見つめた。

 

「ねえねぇ、かごめちゃん?」

 

「何?」

 

「・・・最近、かごめちゃん、本当に綺麗になったね・・・。」

 

「え!何?何言ってるのよ!」

 

慌てふためくかごめ。

突然の発言に動揺し、タオルを湯に沈め、顔を赤らめた。

 

「だって、なんだか、妙にさ・・・。」

 

「そ、そんなことないよ。珊瑚ちゃんだって大人っぽいっていうか・・・、なんと言うか・・・。」

 

語尾を濁し、必死に言い訳を考えた。

 

「きっと犬夜叉とうまくいってんだろうね。いいことなんだよ?かごめちゃん。」

 

珊瑚は微笑んだ。

 

(珊瑚ちゃん、・・・鋭いよ・・・)

 

かごめは、ちゃぷんっと水音を立て顎まで湯に沈み、赤らめた顔を隠した。

 

珊瑚の心配する気持もわからないではない。

桔梗とかごめの間を漂う犬夜叉の心理は、

時として、かごめの純粋な思いを傷つける。

 

だが、かごめは黙って犬夜叉の傍にいる・・・と、

揺れ動く彼の心を大きな暖かい眼差しで見守り続けてきた。

 

初めて彼と交わったときもそうだった。

 

桔梗を抱き抱え、森の奥へと消えていったときのかごめを

後ろから、そっと見守り支え続けていてくれた珊瑚にとって、

かごめの幸福そうな顔はどれだけ願ってきたことだったろうか。

 

「よかったね、かごめちゃん。」

 

これ以上の追求はしても仕方がないと思ったのか、

珊瑚は、幸せそうなかごめの様子に笑みを浮かべつつ、

再び夜空を見上げた。

 

かごめも、いつも自分のことを心配してくれる珊瑚に

「・・・うん。」と頷くと同じように天を仰いだ。

 

(犬夜叉・・・)

 

天に輝く星の光りに混じり、犬夜叉の顔が浮かんでいた・・・。

 

 

「もう上がろうかな・・・。」

 

珊瑚がそろそろといった風に岩へと足を掛けた。

 

「もう少し、暖まったら上がるから、先に行ってていいわ。」

 

かごめはそういうと、ちゃぷっとタオルを湯の中に沈めた。

 

「じゃ、先に行ってるから。」

 

珊瑚は湯冷めしないよう、手早く着替えると

湯殿にかごめを残し、先に皆が待つほうへと戻っていった。

 

 

(ごめんね、珊瑚ちゃん・・・)

 

後ろめたい感情。

 

中々、二人でゆっくりと湯に浸かりながら、

女同士で語らう機会などそうそうない。

 

本当はもっといろいろ話したかった。

一緒に上がり、また声を立てながら楽しく床に就きたかった。

 

だが、ここに来る前にかごめは犬夜叉と約束をしていた。

 

 

 

 

 

 

かごめと犬夜叉の2人きり。

森の影。

密やかにある約束。

 

 

「今夜いいだろ・・・?」

 

「でも・・・。」

 

「お前が前もって言えって言ったろうが・・・。」

 

半ば強引にかごめの体を木に押し付け、もはやそれは当たり前のように

口付けを交わし、かごめの優柔不断を制す。

 

いや、こと女にとっては、優柔不断・・・というよりは、

恥じらいに近い感情が素直に返事をすることに未だ躊躇させていることを

犬夜叉が読み取れるはずもなし。

 

仕方ないように、だが、女としては、それは嬉しい情熱ではある

申し出ではあったが、その返事は小さく頷かせるだけで

言葉として表現し難かった。

 

「・・・必ず・・・、だぞ・・・?」

 

「うん・・・。」

 

 

 

 

(今夜・・・って、これから・・・よね)

 

沈めたタオルを膝にかけ、その下へとそっと手を伸ばす。

 

自分の手でその線をなぞりながら、さらに中へと指を入れる。

 

 

これから、愛される部分を少しでも綺麗にしておきたい・・・

 

女であれば誰でも思う、いわば嗜み・・・とでも言えようか。

だが、ここは夜空の下、誰もいないとは言え、温泉の中。

 

(まさか、誰も見ていないわよね・・・)

 

そういうときに限って、妙にまわりの気配に研ぎ澄ます自分。

 

これから始まるであろう行為にかごめは頬を染める。

 

(なんか、準備万端ってもの恥ずかしい・・・)

 

そう思いつつも、指先が自分の花弁をそっと拭う。

かごめは、そっと目を伏せ、指先に神経を尖らせた。

 

(綺麗にしとかないと・・・)

 

その割れ目に沿い、指を入れていく。

自分の体なのに、一度も見たことのない、まさに秘境。

 

「あ・・・。」

 

ぐっと身を捩る。

その動きが犬夜叉の手を思い出す。

 

(なんか・・・、ちがうかも・・・)

 

指の腹に当たる突起がその周辺を敏感にしている。

 

(犬夜叉・・・!)

 

 

 

 

ふと気がつく。

最初に触ったときと違う、その感触。

 

(あれ・・・?)

 

ぬるっとした何か。

 

(やだ!・・・もしかして・・・!)

 

自分の指が何を感じたのか。

その園は潤いを増してきていた。

 

(や!な、何!違う、違うから・・・!)

 

その潤った茂みの中を湯で洗い落とすように、

何度も擦り続ける。

だが、それは落ちるどころか、どんどん溢れてきてしまう。

 

指の動きが体に刻み付けられてしまった犬夜叉の動きと被っていく。

 

「・・・・ん・・・。」

 

瞼の裏に浮かぶ激しい行為の中で見下ろし、見つめる金の瞳。

 

(やだ・・・、これじゃ、まるで・・・!)

 

された記憶とされたい思いが交差し、花弁を伝う指の動きが

まるで、自分のものではなく、彼がその中を愛した感覚が

体の芯を火照らせていく。

 

 

 

 

 

「あー!もう・・・!いい加減上がろう!」

 

思いもよらない初めてのことに、

かごめは自分で自分を戒めるかのように、指を抜き去り、

湯から上がると、しばし夜風に吹かれ、

妙に火照った体の温度を冷ました。

 

 

 

 

 

 

 

犬夜叉はかつて、自分が封印されていた『犬夜叉の森』と呼ばれていた森を抜け、

その足は骨食いの井戸へと向かっていた。

 

(多分、かごめのことだから、この辺りにでも来るだろう・・・)

 

そういって、近くの木の幹へと腰を据える。

 

 

 

ふと見上げた夜空。

 

月が大分細くなって頭上を照らしている。

 

(もうすぐ、朔がきやがるのか・・・)

 

忌々しい朔の夜。

犬夜叉の妖怪としての力が消えうせる闇は、

半妖の彼にとっては腹立たしい。

 

だが、今は。

 

もうすぐ来るはずのかごめに思いを爆ぜていた。

 

 

無性に求め狂う情欲を秘めつつ、その瞳は見上げた空に

艶やかなかごめの温もりを思い描く。

 

(早く来いよ・・・、かごめ・・・!)

 

 

 

 

 

 

 

かごめは、急いで珊瑚の待つ小屋へと向かっていた。

 

「はぁ・・・、すっかり長湯しちゃった・・・。」

 

(珊瑚ちゃん、もう寝ているかな?)

 

かごめは小屋の簾をそっと上げ、

中をそっと覗き込んだ。

 

珊瑚は既に横になって、静かに寝息を立てていた。

 

「・・・・・寝てるんだ・・・・。」

 

かごめは、珊瑚の脇を横切り、

自分の着替えを置くと、

再び、戸口へと向かった。

 

(犬夜叉も待ってるわよね・・・)

 

後ずさりするように、寝ている珊瑚を見つめながら、

簾を上げ、小屋の外へと出た。

 

「おや?かごめ様?」

 

「・・・きゃ!」

 

思わず、声をあげ、振り返ると

そこには、錫杖を片手に弥勒がいた。

 

「まだ、おやすみにはならないのですか?」

 

「え?・・・あ、うん。忘れ物しちゃって・・・。」

 

「そうですか。・・・早めに休まれてくださいね。」

 

「うん。おやすみなさい。」

 

かごめは、言い訳がましいと思いつつも

咄嗟に思いついた嘘に疑うこともしない弥勒を後に

犬夜叉が待つ森のほうへと急いで駆け出した。

 

(犬夜叉のことだから、もう森の中に行ってるわよね!)

 

かごめは、犬夜叉の予想どおり、井戸のほうへと走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

犬夜叉は、かごめのくる気配をいち早く感じようと

黙ったまま、空を見上げていた。

 

「おせーなぁ、かごめのやつ、何やってんだよ・・・。」

 

月が僅かに西へと傾いていた。

 

「小屋の近くまで行ってみるか・・・。」

 

そういって、御神木の前を過ぎろうとした時。

僅かに感じる何かを感じ取った。

 

鼻の利きなら誰にも負けない。

しかし、匂いらしいものを感じ取ったわけではない。

そう、匂いなどの類ではない。

 

(この気配・・・)

 

覚えのある感覚。

 

犬夜叉は、その気配を感じるほうをじっと見つめた。

 

(結界か・・・?)

 

犬夜叉は、御神木の裏手に回りこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

その先、奥へと足を踏み入れる。

月明かりも何も差し込むことのない闇の中、

半妖である目が昼間とさして変わらぬ動きで突き進む。

 

「・・・・お前。」

 

もはや、それは消えかけていた。

 

一歩、一歩と近づくごとに泡のように透け霞んでいく・・・結界。

 

「桔梗!」

 

そこには、木に背も垂れて蹲る桔梗がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「犬夜叉・・・、待ってるよね・・・。」

 

小走りに骨食いの井戸へと向かうかごめ。

 

「ちょっと待たせたかな・・・。」

 

肩で息を継ぎながら、一心不乱にその場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「桔梗・・・。どうして、ここに・・・。」

 

もう結界は消えてなくなっていた。

 

桔梗は、その声に気がついたのか、そっと目を開けると、

心配そうに自分を見つめ佇んでいる犬夜叉を見上げた。

 

「また、ここまで来てしまった・・・。」

 

「桔梗!」

 

犬夜叉は、力ないその体を抱き寄せた。

 

「奈落か?」

 

「少々無理をし過ぎたらしい。・・・死魂が抜けてしまっている・・・。」

 

「なぜ、一人で戦う?」

 

「・・・・。」

 

前にもそれはあった。

奈落の刺客から逃れ、無意識のうちに生まれ育ったこの地へと

無意識のうちに足を運んできたこと。

 

あの時の思いを思い出す。

 

桔梗は俺が守る・・・!と。

 

「もう戦うなといっただろ・・・。」

 

犬夜叉は、桔梗の体を引き寄せ、そっとその腕の中に包み込んだ。

 

「犬夜叉・・・。」

 

桔梗は、その腕の中で力なく冷え切った体をあずけ、瞳を伏せると

背に手を回し、ぐっと緋の衣を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

井戸の近くまできたものの、犬夜叉の姿は見つけられなかった。

 

「犬夜叉、どこにいるんだろ・・・?」

 

辺りを見渡すも、銀の光り輝く影はおろか、

動くものさえ見受けられない。

 

「・・・こんなとこじゃ、一人でいるの怖いわよ。」

 

井戸の淵に腰を下ろし、天を見上げる。

珊瑚と共に見た空と同じ光りが鬱蒼とした森の葉を照らしていた。

 

「ちゃんと来てくれるわよね、犬夜叉・・・。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

犬夜叉は、死魂の抜けた体を抱き上げ、

井戸のほうへと向かおうとした。

 

「待て、犬夜叉・・・。」

 

「どうした?桔梗。」

 

「もうすぐ、死魂虫が死魂を抱えて戻ってくる。」

 

「・・・・。」

 

「だから、ここを離れるわけにはいかない・・・。」

 

そういうと、桔梗は犬夜叉の腕の中から這い出るように

胸を押し避け、立ち上がろうとした。

 

「う・・・!」

 

覚束ない足元が墓土と骨の体を支えきれずに倒れ掛かった。

 

「桔梗!」

 

犬夜叉は、手を伸ばし、再びその腕の中へと納めた。

 

「ここにいてやるから・・・。」

 

「犬夜叉・・・。」

 

「お前の体が動くようになるまで、俺がここにいるから・・・。」

 

桔梗を抱きしめた腕が桔梗の体を包み込む。

その腕の中で感じる温もりは、もう自分には無くなってしまった

遠い昔の幻影。

 

どれほど思い描いたことだろう。

愛おしい、この腕に抱かれることを・・・。

 

「犬夜叉・・・。」

 

桔梗は、犬夜叉の背に腕を回すと、そっと腕の中で頭を埋めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いなぁ、犬夜叉。・・・違うところにでも行ってるのかしら?」

 

痺れを切らし始めたかごめは、井戸の淵から立ち上がると、

辺りを見回しつつ、元来た道を戻り始めた。

 

「・・・・・?」

 

何か、いつもとは違う感覚に捕らわれるかのように、

真っ暗な森の茂みのほうへと目を向ける。

 

「何だろ・・・?」

 

だが、その奥はあまりにも暗く、

夜、ひとりで入り込むには勇気がいる。

 

しかし。

 

何に引き付けられるのか。

 

かごめは息を殺し、その茂みの中をそっと覗き込んだ。

 

「・・・・。」

 

やはり、その中は深遠なる闇が続くばかり。

 

「・・・気のせい、・・・かな?」

 

かごめは、一人きりで夜の森にいるせいで神経過敏になっているのだろうと思うことにし、

その場を立ち去ろうとした。

 

夜風がさらさらと森の木陰を揺らし、

乾きかけていたかごめの髪を靡かせる。

 

(風邪引いちゃうよ・・・!犬夜叉!・・・もう)

 

腕を組み、肩を窄めながら、足を戻そうとした。

 

(あれ・・・?)

 

少し、先にある背丈の低い茂みの裏から

風に吹かれて白く輝くものが一瞬、目に止まった。

 

(何かしら・・・?)

 

そっと足を忍ばせ、近寄っていく。

 

(もしかして、犬夜叉?)

 

一握の期待を抱えながら、そのほうへとゆっくりと近づく。

 

「・・・・・!」

 

その光景にかごめは息を飲み込んだ。

 

(や・・・!・・・犬夜叉?!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

犬夜叉は桔梗を抱え、木へと寄りかかり、空を仰いでいた。

 

桔梗は、その腕の中で瞳を伏せたまま、黙ってその腕の中へと体を預けている。

 

 

(やだ!どうして犬夜叉と桔梗が・・・?!)

 

 

その光景を見た途端、体が硬直したのか、そこから動くことさえできなかった。

 

まさか、そんなことが・・・!

 

だが、目の前の現実にかごめは息を飲み込んだ。

 

(いや!・・・こんなとこ見たくない!)

 

凝視し、硬直したままの自分。

目を逸らすことさえままならない。

 

かごめは、信じたくないその光景をただ黙って見入るばかりだった。

 

 

 

 

 

 

時折、どこからともなくやってきる死魂虫が

ひとつ、ひとつ、またひとつ・・・と、

死魂を抱え、桔梗の体へと放り込む。

 

中々満ちてこない死魂を桔梗は黙って吸収し、

体を動かせるときを待つ。

 

「大丈夫か?桔梗。」

 

「ああ。」

 

僅かばかりの死魂では、奈落と戦うどころか起き上がることさえできない。

桔梗は、犬夜叉の腕の中で、自分の体に死魂が満ちるのをただひたすら待っていた。

 

「犬夜叉・・・。」

 

「どうした?」

 

「このまま、私を抱いていてもよいのか?」

 

「桔梗?」

 

思わぬ言葉に犬夜叉は桔梗を見つめる。

 

「いいのか?犬夜叉・・・。」

 

「・・・・・。」

 

桔梗を腕に抱きながらも、幾度となくその脳裏に

かごめの顔が過ぎっては消えていく。

 

その思いを悟られたのか、犬夜叉は桔梗を抱き抱えた腕に力を込めた。

 

「何を言ってやがる。・・・お前の体が動くようになるまで、こうしていてやる・・・。」

 

「犬夜叉・・・・。抱いていてくれるのか?」

 

「ああ。だから、お前は、このまま・・・。」

 

艶やかに流れる黒髪に指を差し込むようにして、

かつて愛したその頭を寄せる。

 

「桔梗・・・!」

 

「・・・犬夜叉・・・。」

 

触れる冷たい頬が50年の歳月と悲しい復活を遂げた運命的な再会に影を落とす。

 

暗い森の中の茂みの奥。

かつての恋人どおしだった二人は固く抱きしめあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつの間にか、かごめは楓の小屋の前まで来ていた。

 

あの場所にいたのは、どれくらいの時間だったのか。

自分はどうやって、ここまで戻ってきたかの記憶はまるでなかった。

 

あるのは、二人が固く抱きしめあっていた光景。

絡み合う緋の衣と白衣の腕が目に焼きついて離れない。

 

つい先まで浮かれ待ちわびていた自分の心が

深い穴の中に音を立てて落ちていく。

 

やはり、あの二人の絆の前には自分の存在価値など砂粒にも満たない・・・。

 

「犬夜叉・・・。」

 

思いがけず目にした光景に激しい衝動が込み上げる。

 

かごめは、ついに立ち止まると、溢れてくる涙に堪えきれず

膝を落とし、その場に泣き崩れた。

 

(・・・犬夜叉・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太陽は既に午後に差し掛かり、神社の境内を囲む木の影を長く落としこんでいた。

 

かごめの徒ならぬ様子に弥勒と珊瑚が実家に帰ってみてはと計らい、

一人、現代へと戻り、部屋で暫く横になっていた。

 

家の中は、家族で出かけていて声ひとつない。

 

母親は、かごめの様子に驚いたものの「ゆっくり寝ていたい」という本人の希望を聞き入れ、

祖父と弟を連れ、親戚の家へと出かけていった。

 

それは、かごめにとってもありがたかった。

 

理由も言わずに落ち込んでいる自分の姿など家族に見られたいわけがない。

 

(何にも考えたくない・・・)

 

朝早く帰ってきてから、かごめは一人、部屋に閉じこもり、

ただじっと伏せていた。

 

 

 

 

 

ようやく昼を過ぎたころから、かごめは気を取り直したように階下の居間へと降りてきた。

 

「そっか・・・・。皆出かけてるんだ・・・。」

 

いつもなら、実家に帰ったかごめを追いかけるように

荒々しく登場する犬夜叉も今日はまだやってこない。

 

(桔梗と一緒にいるんだろうな・・・)

 

また、同じような虚脱感。

 

かごめは、こうして一人いるだけでは落ち込むだけだと気を取り直すように、

戦国時代に必要な薬品や小物でも買いに出ようと

取りあえず、よそ行きの服に着替え、家を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ようやく死魂が満ち、再び体を動かせられるようにまで回復した桔梗は、

それまで、なんとも弱弱しかったのが嘘であったかのように、

犬夜叉の腕からすり抜け、立ち上がると、

死魂虫を纏い、森の中へと消えうせていった。

 

会話らしい会話などなかった。

 

ただ、桔梗を抱きしめていた腕に残された冷たい温もりが

桔梗が人間ではない証を犬夜叉の体に刻み付けただけで

それ以上のことは何もなかった。

 

犬夜叉は、消え行く桔梗を見送ると、

約束していたはずのかごめを探し、楓の小屋へと足早に戻ったが、

その時には既にかごめが実家に帰った後で、散々弥勒と珊瑚、

そして、七宝にまで悪態をつかれるばかりだった。

 

―――――早く、かごめ様を迎えに行って来い!

 

―――――そうやって、天秤にかけるなんて最低だよ!

 

耳に木霊する仲間たちの罵声。

 

(すまねぇ!かごめ!)

 

井戸の中を通り抜ける間中、犬夜叉は何度も詫びていた。

 

来れなかった理由。

また、自分から約束を交わしたにも関わらず、

一番酷い方法で、その約束を反故にしてしまった自分。

 

何度、彼女を傷つければ済むのか。

どう詫びればいいのか。

 

犬夜叉は、いち早くかごめに会うべく、

実家のある現代へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町中の喧騒は、かごめの頭に焼きついているさっきの光景を暈してくれていた。

 

とり合えず、必要とされる小物を買い揃え、

両手に一杯買い物袋を下げる。

 

「これだけあれば暫く持つかな・・・。」

 

溜息交じりの呟き。

 

一人、歩道を歩くかごめは時折道の片側に並ぶ店を覗き込んだ。

 

差しあたって、自分の欲しいものなどあるわけでもなかったが、

立ち並ぶショーウィンドウのガラス越しに煌びやかに着飾った人形たちを見つめ歩く。

 

ただ俯き加減に歩くのも、それも、また自分を惨めにしてしまう。

虚勢を張ることが今は精一杯。

 

かごめは、無心になったつもりで

過ぎ行く景色をぼんやりと眺めながら、とぼとぼと歩いていた。

 

 

「あれ?かごめちゃんかい?」

 

聞きなれない声がかごめを呼び止めた。

誰だろうと声のする方に目を見やる。

 

歩道の路肩で止まった、パワーウィンドウをスーッと下ろす一台の車。

 

「やっぱ、かごめちゃんじゃないか!」

 

「あ、・・・石田さん?」

 

車の奥から顔を出したのは、石田恭平だった。

 

「よかったら、送ってくよ。乗ったら?」

 

「いえ、大した荷物じゃないし、大丈夫です。」

 

「そんなに荷物抱えて?いいから乗りなよ。」

 

「でも・・・。」

 

「いつまでも、ここにハザード出しておけないし。さ、乗って!」

 

半ば強引にかごめを助手席に乗せると、石田はさっさと車を出した。

思わず乗ってしまったかごめは、

誰かの車に乗るという経験が全くなかったせいか、

どことなく落ち着きなかった。

 

だが、そんなかごめを他所にハンドルを握り、

機嫌よく車を走らせる。

 

かごめは、その車の中で黙っていく先を見つめるだけだった。

 

 

 

 

何度かの信号待ちを繰り返しながら、神社のほうへと車を走らせる。

 

かごめは、終始無言のまま、シートベルトを固く握り締め、

息を止めるような状態で前を見つめていた。

 

「そんなに危ない運転しないから、ちょっとは緊張するのやめたら?」

 

「い、いいえ。そんなんじゃないです。」

 

「こわい?」

 

「そうじゃなくて、こうやって誰かの車に乗るなんて初めてで・・・。」

 

その言葉に恭平はくすっと笑った。

 

「おかしい・・・ですか?」

 

かごめは、視線を変えることなく、笑った恭平に

どうして笑うのか尋ねた。

 

「いや。かごめちゃんにもこわいものあったんだなーって思って、さ。」

 

「どういう意味です?」

 

ちょっと頬を膨らませ、初めて運転する恭平に目をやった。

 

涼しげな顔で正面を見据え、軽くハンドルを転がす姿は

かごめの中で初めて見たもの。

 

シャツを捲り上げた引き締まった腕が犬夜叉の緋の衣から伸びた腕と重なる。

 

(男の人の腕って、皆こんな感じなのかな・・・)

 

ハンドル捌きに見入るかごめに恭平は気がついた。

 

「ねぇ、かごめちゃん。」

 

「はい。」

 

「遅くならないから、・・・ちょっとドライブしよう・・・。」

 

「え?ドライブ?・・・ドライブって・・・。え?」

 

恭平はかごめの返事を待つことなく、ハンドルを大きく切ると、

大通りを抜け、見知らぬ道へと入り込み、アクセルを踏んだ。

 

「ちょ、ちょっと!・・・どこへ?」

 

「今、俺が一番行きたいところ。」

 

「行きたいところって・・・。」

 

恭平は、かごめの質問に答えることなく、カーオーディオに手を伸ばすと

お気に入りらしき音楽をかけると、そのリズムに合わせ

ハンドルに軽く指を叩き始めた。

 

かごめは、降りることもできず、助手席で、どこにいくのか考え込みながらも、

恭平の進む標識に目をやりながら、時折話しかけられる言葉に軽い相槌をうつだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

犬夜叉は、いつも鍵をかけていないかごめの部屋の窓から中へと入った。

玄関の鍵がかかって戸が開けられなかったからだ。

 

「誰もいねーのか?」

 

そういって、誰の気配も感じられない部屋を見回した。

 

クローゼットの扉には、いつも来ている制服がきちんとかけられている。

 

「出かけているのか・・・。」

 

出鼻を挫かれたような気もしないでもなかったが、

かごめが現代には間違いなく帰ってきていることに

軽い安堵感を感じ、いつものようにベッドへと腰掛けた。

 

腕を組み、正面の机に置かれたものを何気に見つめる。

 

 

 

 

『おめぇ!そうやって、いっつも遅くまでべんきょーしてやがって!早く寝ろ!

 

『ちょっと!邪魔しないでよ!』

 

聞き分けのないかごめの体を無理に椅子の上から引き剥がし、

ベッドの中へと押し込んで、かごめが目を閉じるのを待つように、

上からじっと視線を落とす。

 

『犬夜叉は寝ないの?』

 

『おめーが寝てからだ!』

 

『分かったわよ。お休み、犬夜叉。』

 

『おう。』

 

 

 

 

この部屋で何度、こんな会話を繰り返したことだろうか。

犬夜叉は、かごめの使っている枕を手に取り、

そこから漂う匂いにつられるように顔に宛がった。

 

(かごめ・・・。おめぇの匂いだ・・・)

 

犬夜叉は、その枕を腕の中に納めるように抱きしめると、

ベッドへと横たえた。

 

ベッドの上からも溢れるかごめの体の匂いが鼻を掠める。

 

「かごめ・・・。早く帰って来いよ・・・。」

 

犬夜叉は抱き抱えた枕に顔を埋め、

愛おしいかごめの名をただひたすらに呼び続け、

その帰りを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暫く車を走らせ、トンネルを潜り抜けると、海岸線へと出た。

 

「あ・・・、海・・・。」

 

窓の向こうに広がる景色にかごめは大きく目を見開き、

その光景にしばし見入った。

 

恭平は、海岸線のパーキングへと車を止めると、

ようやくエンジンを切り、外へと降りた。

 

かごめも助手席から降りてくると、

大きく体を伸ばし、潮の香り漂う浜風を全身に浴びせるように

波のほうを見つめた。

 

「久しぶりに見たわ・・・。」

 

「気持いいだろ?」

 

「ええ。気持いい・・・。」

 

恭平は、かごめの隣に立ち、同じほうへと視線をやり、さざめく波を見つめた。

 

「寒いか?」

 

「大丈夫です。」

 

気遣う恭平に何の感情もなく返すかごめの返事。

ただ黙って波を見つめるかごめを恭平は見つめた。

 

「ねぇ、かごめちゃん。」

 

「・・・・はい?」

 

「ちょっとは、気が晴れた?」

 

「え?」

 

恭平は驚いた表情で振り向いたかごめを熱く見つめ、言葉を続けた。

 

「なんか、元気なかったようだったから・・・。」

 

「そんな風に見えました?」

 

「うん。・・・例の彼氏・・・かな?」

 

「彼氏だなんて・・・。」

 

恭平は、ガードレールに腰掛けた。

 

「俺だったら、かごめちゃんにそんな顔させないけど。」

 

「石田さん・・・。」

 

「絶対にさせない。」

 

恭平はかごめを見つめた。

 

「君は、何か他の女の子と違うよね。・・・なんていうか、どこか大人びたような・・・。」

 

「買い被りですよ。つまんない嫉妬もするし・・・。」

 

「嫉妬するようなことを彼氏がするんだろ?」

 

「・・・・・。」

 

「俺だったら、君にそんな嫌なことしないよ。」

 

かごめは、もうこれ以上話はできないといった様子で

返事を返さなかった。

 

黙って、浜の向こうを遠めで眺め見つめた。

 

恭平は、かごめのその姿、全身に目をやった。

 

風に靡き、背中一杯に揺れる黒髪と、

ほっそりと引き締まったウェスト。

 

自分より年下なはずなのに、その腰に妙な色香さえ感じる。

 

顔は少し翳りを帯びたようにどこか寂しげでいて、

そのくせ、芯の強い瞳をもっている。

 

その唇で、君を悲しませる彼氏と何を語らうのだろうか。

 

顎の線を沿い、下にのびるしなやかな細い首。

そして、女性の象徴ともいえる豊満な胸の内でいったい何を思い焦がすのか・・・。

 

恭平は、自分の心の中で湧き上がる情欲を押し殺すことを禁じえなかった。

 

ただ、彼女を見つめているだけで、それだけで自分に

こんなはしたない感情があったことさえ驚きなのに・・・。

 

恭平は、立ち上がり、かごめの傍へと歩み寄ろうとした。

 

だが、その瞬間、かごめは恭平のほうへと振り向いた。

 

「もう・・・、帰りませんか?」

 

「・・・あ、ああ。」

 

そういうとかごめは車の助手席のほうへと向かった。

恭平は、我に返ると、かごめの後ろにつくように車へと足を向けた。

 

「あ!・・・痛!」

 

「あぶない!」

 

足元に転がっていた小石に思わず蹴躓き、傾いた体を咄嗟に恭平が抱き抱えた。

 

「・・・・・!」

 

恭平は、その腕に力を込め、かごめの体を思わず抱きしめた・・・。

 

(かごめちゃん・・・!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

犬夜叉は、溜息を洩らしつつ、窓の外の景色を見つめる。

 

(かごめ・・・、早く帰って来い・・・!)

 

傾き始めた太陽の光りの向こう。

ベッドの上で腕を組み、一刻も早くその愛おしい女を抱きしめたい一念。

 

ただひたすらにその帰りを待ち続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・石田さん?」

 

ほんの一瞬抱きしめた腕は、かごめに悟られたのかどうか

だが、かごめは怒ることも振り解くこともなく、

ただ、名前を呼ぶだけだった。

 

恭平は、ぱっとその手を引くと、

「怪我はなかった?」

と身を案ずるも、助手席のドアを開け、

かごめを乗せると、勢いよく車を走らせた。

 

 

 

 

特に何を話すこともなく、走り続けた。

 

信号で止まったとき、ふとかごめの方に視線を向けるものの

かごめ自身がだまったまま、窓の外を眺めるばかりで

恭平もそれ以上、何かいうこともなかった。

 

 

 

 

 

 

やがて、自宅の傍に車をつけると恭平はエンジンを切り、

かごめのほうを見つめた。

 

かごめは、「ありがとう」とだけ礼をいうと、その視線に気付くこともなく

助手席から降りようとドアノブに手を掛けたときだった。

 

「かごめちゃん!」

 

恭平は手を伸ばし、かごめの腕を掴み、自分のほうへと引き寄せた。

 

咄嗟の出来事に驚きの目で見つめるかごめ。

 

「あ、・・・何?・・・石田さん?」

 

「かごめちゃん、俺・・・。」

 

「・・・・・何?」

 

「俺、君が傍にいると・・・。」

 

「・・・・・。」

 

「君がいると、心が落ち着くんだ・・・。」

 

かごめは、その言葉に何も返すこともできず俯いた。

 

「君がいると、強くなれる気がするんだ・・・。」

 

「・・・・・。」

 

恭平は、それだけをかごめに伝えると、

運転席から降り、助手席側へと回り込み、ドアを開けた。

 

かごめは、恭平に目をあわすことなく車から降りると、

そこから逃げ出すように小走りに玄関へと向かった。

 

「俺、本気だから!」

 

恭平がかごめの背中に向け、言葉を投げた。

振り返ることはできなかったが、

その言葉は確かにかごめの耳に入り、思わず足を止めてしまった。

 

「俺・・・、本気だから・・・。」

 

振り返れない・・・。

振り向いたら・・・、そしたら、次は・・・?

 

かごめは、堪えるようにぐっと目を閉じると、

「帰ります」とだけ言い残し、駆け出した。

 

 

 

「かごめちゃん・・・。」

 

玄関へと駆け込むように走り去っていったかごめの後姿を

見送ると、恭平は車へと戻り、そのまま走り出した。

 

 

 

 

 

 

かごめの部屋の窓からは、その光景を金の瞳が黙って見据えていた・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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