First rain     1       200610.5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「桔梗ー!」

 

 

目の前に立ちはだかる高い崖を見上げ、叫んだ。

 

がけの上を見上げると、数匹のどす黒い死魂虫が宙を舞い、

何かを取り巻くように蠢いている。

 

 

 

犬夜叉には、それが何なのか、瞬時に鋭い嗅覚が捉えた。

 

 

―――桔梗!なぜ一人で立ち向かう?

 

―――なぜ、俺を呼ばない!

 

 

一も二もなく、高く飛び上がる。

崖を飛び上がり、鉄砕牙を振り下ろす。

 

「桔梗ー!」

 

 

 

 

 

 

 

「弥勒様!珊瑚ちゃん!」

 

かごめが空を見上げた。

飛び行く犬夜叉を見上げ、弓を引く。

 

 

パーン!

 

 

矢が一匹の死魂虫に命中し、弾けとんだ。

 

「かごめちゃん!雲母に乗って!」

「うん!」

 

 

かごめは珊瑚に捕まると、雲母が勢いよく空をかけ、

犬夜叉の後を追い、崖へと飛び上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

死魂虫は、風の傷で消し去られていた。

 

だが、骨と墓土を死魂虫で満たさなければ動かない

桔梗の体は既に立つこともできなくなっていた。

 

 

「桔梗!」

 

「・・・犬・・・夜叉・・・」

 

 

 

その体は、崖の間際で揺らいでいた。

 

手に持つ弓が足元に落ちる。

 

 

 

その瞬間、頭から・・・、まるで時間が止まったように、

だが、伸ばしかけていた犬夜叉の手は間に合わなかった。

 

「桔梗!」

 

 

 

 

かごめたちの目の前。

 

崖の上から、何かが落ちてくるのが見えた。

 

白と赤。

 

 

 

「桔梗!」

 

かごめも叫んだ。

 

「雲母!早く!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて、白と赤は崖の下、湖へと小さな音を立て、沈んだ。

 

後を追う、緋の衣。

 

「犬夜叉ー!」

 

水面に沈む犬夜叉もまた目で追う。

 

「犬夜叉ー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

湖の祠の傍で、弥勒と珊瑚は犬夜叉の帰りを待った。

 

あれしきのことで犬夜叉が死ぬようなことはあり得ない。

 

だが、桔梗は?

 

死魂虫は吸い尽くされ、既に体を動かすこともままならない状態で、

どうしたものか。

 

 

 

湖の辺で、一人。

胸元で固く手を握り、じっと見つめて待つかごめ。

 

(犬夜叉・・・、桔梗・・・!)

 

 

 

 

 

 

 

 

湖の向こう。

 

待ちわびた緋がうっすらと見えてきた。

 

(犬夜叉!)

 

かごめは、水の中に足を踏み入れ、駆け寄ろうとした。

 

やがて、その姿が目にはっきりと映し出される。

 

 

ズキ・・・

 

 

 

犬夜叉の腕に抱かれ、湖畔から出てきた犬夜叉。

 

力なく、その腕でぐったりと体を預ける桔梗。

 

 

 

かごめは固唾を飲み込みつつも、再び駆け寄る。

 

 

「桔梗は?桔梗は大丈夫なの?」

 

「・・・ああ。だが肩の傷が・・・。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かごめの前を過ぎていく二人。

 

 

 

 

かごめの体は硬直したまま。

 

 

 

犬夜叉の目にあるのは、腕に抱く桔梗。

その眼差しは、いつもかごめを見つめる目と異なるのを見逃せなかった。

 

 

 

 

 

―――俺は、こんなにも大事な女の一人も守れないのか!

 

 

 

 

黙って、祠へと桔梗を抱いたまま、中へと入る。

 

 

かごめは、振り返り、その後を追った。

 

 

 

 

ズキ・・・

 

 

 

祠の中に入ると、犬夜叉は静かに桔梗の体を横たえた。

 

膝を突き、桔梗の冷たい頬に手を添える。

 

「・・・桔梗?俺の声が聞こえるか?」

 

「・・・」

 

 

 

その応えは帰らない。

 

薄く開く目にまだ息があることに安堵するも、

冷たい体は何ひとつ反応がない。

 

「桔梗・・・」

 

犬夜叉は、横たわる桔梗の体に覆いかぶさるように抱きしめた。

 

「目を開けてくれ!・・・桔梗、頼む!」

 

 

 

 

 

 

 

かごめは、そっと祠の扉を開けた。

 

 

ズキッ

 

 

 

かごめの胸に感じる慟哭は痛みとなって体を芯を貫く。

 

 

薄暗い祠の中では近づくかごめに振り向くこともなく、

ただ、桔梗の名を呼び続ける犬夜叉の背が目に入った。

 

 

 

―――結局、私の入る隙間なんてなかったのよね・・・

 

 

 

 

 

 

かごめの脳裏に浮かんだのは、何度かの抱擁。

 

 

かごめの腕を引き寄せ、熱い胸に誘い、抱きしめる。

 

半ば強引に・・・

 

時には、いたずらのように・・・

 

 

 

 

重なる唇を思い出す。

 

 

 

 

だが、今、目の前の光景はそれをすべて否定するかのように

泡沫のように、薄く遠のき消え行く。

 

 

 

やっぱり、犬夜叉の中には桔梗が・・・、

桔梗だけがいるのね・・・

 

 

 

 

 

かごめは、そっと犬夜叉の背後から桔梗を見下ろした。

 

 

いつもと変わらない済ました顔。

 

だが、その姿に生気はまるでない。

 

 

「桔梗・・・。」

 

 

 

 

黙って桔梗の体を抱きしめたまま蹲る犬夜叉の肩に手を添えた。

 

「桔梗を助けましょう・・・」

 

その言葉にようやく反応したかのように、ゆっくりと顔を上げる。

 

「やってみるから・・・。」

 

「かごめ・・・」

 

「大丈夫よ、犬夜叉。」

 

 

 

 

 

犬夜叉は、桔梗から少し離れると、その場所をかごめに譲り渡した。

 

かごめは、「ごめんなさい」と小さく呟くと

胸元の襟をそっと開く。

 

 

 

淀んだ瘴気が体の外に漏れ出すように流れてくる。

 

(ひどい・・・!)

 

 

 

 

流れ出た瘴気がやがて、床を這い、犬夜叉の足元に漂い、衣を焦がす。

 

 

「ひでぇ瘴気だ・・・。」

 

床に跪くかごめの足にもその瘴気が降りかかる。

 

 

(痛い・・・!)

 

 

かごめは両手を桔梗の肩に翳した。

 

見えない空気の抵抗を感じるように流れ出る瘴気に押され、

掌が体に触れられない。

 

(このままじゃ、本当に死んじゃう!)

 

 

 

―――もし、ここであきらめたら、犬夜叉は、一生後悔して生きていくことになる!

 

 

桔梗の死は犬夜叉の絶望そのものと諭したかごめは、

「外に出て・・・」と犬夜叉に告げた。

 

「かごめ・・・?」

 

「桔梗を助けたいの。」

 

「だが、この瘴気だらけの部屋じゃ・・・」

 

「いいから、出てて・・・。お願い。」

 

 

桔梗をそのままにして離れることを拒むのか。

それとも、二人きりにすることに抵抗があるのか。

 

 

なかなか祠を出ようとしない犬夜叉が何を思うのか。

 

だが、考える余地はないと思ったのか、

黙って扉のほうへと足を向けた。

 

 

「必ず助けるから・・・。」

 

その言葉に立ち止まり、振り返る犬夜叉。

 

「私も命がけで助けるから、・・・信じて。犬夜叉。」

 

「かごめ・・・。」

 

犬夜叉はかごめの目を見つめた。

 

―――必ず助けるから!

 

―――命がけで助けるから!

 

 

かごめの瞳に曇りはなかった。

揺ぎ無いその眼差しを信じ、犬夜叉は「頼む」とだけ言い残し、

祠の扉を閉めた・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祠の外に出ると、弥勒と珊瑚、七宝に雲母が心配そうに見守っていた。

 

「犬夜叉、かごめ様と桔梗様は中に?」

 

「ああ・・・。」

 

弥勒は、その応えに黙って祠を見つめる。

 

珊瑚も言葉なく、扉のほうへと目をやった。

 

(かごめちゃん・・・!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「桔梗?聞こえる?」

 

かごめは桔梗の肩から流れ出る瘴気を抑えるように手を翳し、

何度も何度も呼びかける。

 

だが、その反応はまるで感じない。

 

座り込んだ足元の瘴気がかごめの足に纏わりつき、

膝がシュー…と音を立て、赤く染める。

 

 

 

「桔梗・・・。目を覚まして!」

 

かごめはもう一度、手に力を込めた。

 

「・・・あなたの心に想う人がいるんでしょう?」

 

かごめの瞳から一筋の涙が頬を伝い始める。

 

「あなたを想う人が待っているんでしょう!」

 

「・・・桔梗!生きて!・・・もう一度、犬夜叉と会って・・・!」

 

頬を伝う涙が桔梗の頬へと落ちた。

 

「お願いよ!桔梗!」

 

一粒、また一粒・・・。

 

 

 

流れ落ちた涙は、やがて桔梗の瞳へと伝い、

それは、まるで桔梗の流した涙のようにポロリ・・・と毀れた。

 

 

 

 

 

 

「・・・」

 

「桔梗?」

 

「・・・い・・・」

 

「気がついた?」

 

「い・・・き・・」

 

「そうよ。生きて・・・。桔梗。」

 

「・・・」

 

一瞬、桔梗の口から、僅かばかりの声が漏れた。

瞼が上がり、その瞳はかごめを映した。

 

 

 

「桔梗ー!」

 

 

 

 

かごめは桔梗の体にしがみ付き、大声で叫んだ。

 

その瞬間、二人の体を包み込みながら、青白い閃光が発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ?この感じは?」

 

感じたことのない空気を肌で感じ捕らえ、弥勒が祠に目をやる。

 

同じように犬夜叉も祠のほうに振り返り、扉へ近づいた。

 

カー・・・ッ

 

 

 

扉を突き抜け、青白い閃光が祠から飛び出した。

 

「うわー!」

 

その光りをもろに被る犬夜叉。

 

強い光に目が開けられず、水干の袖で顔を覆うものの、

夜の闇さえ引裂こうかと思える強い青白い光がその辺り一体を包み込んだ。

 

 

 

「犬夜叉!お前!」

 

光から逃れるように屈みこんだ犬夜叉の異変に弥勒は叫んだ。

 

「お前、変化が・・・!変化が解けてるぞ!」

 

 

犬夜叉の銀の髪が瞬く間に黒く染まっていく。

大きく見開いた瞳もまた黒く変わり始めた。

 

 

 

「なんだ?朔じゃねぇのに!」

 

犬夜叉は自分の手から消えていく爪を見つめ、思い返した。

 

―――この感触は、あの時の・・・!

 

 

 

 

 

一度だけ。

 

そう、あの時。

 

白霊山で、結界の中に踏み込んだ時のこと。

聖地と呼ばれ、崇められていた場所で七人隊と戦ったときのこと。

 

その聖域は穢れを許さず、万物の妖をすべて薙ぎ払った。

 

そのとき、犬夜叉の妖力は消し去られ、人間として戦わざるを得なかった。

 

 

 

「この光りは一体・・・?!」

 

犬夜叉は、人間の姿に変わりながらも祠へと近づいた。

 

 

バチバチ!

 

 

「・・・結界?!」

 

光包まれる祠へは近づけなかった。

 

弥勒も光を遮るように腕を顔に翳しながら、近づくが

やはり弾き返される。

 

「この結界は、もしやかごめ様が?」

 

「わからねぇ!」

 

「だが、この光は全てを浄化しているぞ!犬夜叉!」

 

「・・・」

 

「かごめちゃんたちは大丈夫なの!法師様」

 

閃光に当てられ、苦しむ雲母と七宝を庇うように抱きしめつつ、

同じように祠を見つめる珊瑚。

 

 

 

 

 

 

 

やがて、光はゆっくりと静まり、元の闇夜へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「爪が戻り始めた・・・」

闇に解けていた黒髪が再び銀へと光り輝き始める。

 

「犬夜叉、大丈夫か?」

弥勒が犬夜叉に駆け寄った。

「なんともねぇ。」

 

返すように弥勒は、珊瑚のほうへと振り向いた。

 

「珊瑚!大丈夫か?」

 

「ああ、こっちは大丈夫さ!」

 

目を回し、気を失ってはいたが、七宝も雲母も無事と伝える。

 

 

「二人は大丈夫だろうか・・・?」

 

弥勒は珊瑚の傍に駆け寄り、なおも無事を確認する。

 

 

「・・・桔梗?、・・・かごめ?」

 

犬夜叉は、そっと緋子らの扉を開けんと近づいた。

 

結界はないのか、その扉は静かに開いた。

 

「・・・かごめ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「犬夜叉・・・。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉を発したのは、桔梗だった。

 

ゆっくりとだが、横たえた体をそのままに首を扉のほうへと向ける。

 

 

 

 

 

「犬夜叉・・・。」

 

 

もう一度、その名を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

「桔梗・・・。」

 

犬夜叉は、その声を聞くと、急いで桔梗のところへと駆け寄った。

 

「桔梗・・・。」

 

犬夜叉は、目を開け、我名を呼ぶ声を呼ぶ姿を見つめると、

再び、その体を抱きしめる。

 

「桔梗・・・。」

 

ただ、名前を呼ぶのみ。他には何一つ言葉が出てこない。

桔梗の頭を抱えるように胸に包み、ただ「生きている」ことに

強い安堵感だけがその心を占める。

 

だが、桔梗の表情は何ひとつ変わることなく、静かに言葉を続けた。

 

「犬夜叉、・・・私を向こうの山の麓まで連れて行って欲しい。」

 

桔梗の声はするものの、死魂の失った体は動くことができないのか、

腕の中で、小さな声で犬夜叉へ請う。

 

「ああ、わかった・・・。」

 

そのまま、力ない体を抱き上げる。

 

扉の傍まで来たとき、ふと足を止めた。

 

 

(かごめ・・・)

 

 

 

かごめは、扉の傍の壁に寄りかかり、ただ犬夜叉達が

抱き合っていた様子を静かに見ていた。

 

桔梗が横たわっていた場所を虚ろ気な眼差しで眺めている。

 

「かごめ。・・・すまねぇ・・・。」

 

「・・・いいから。・・・早く桔梗をその場所に連れて行って・・・。」

 

「ああ。」

 

 

 

 

 

目を合わすことはなかった。

 

 

 

黙って桔梗を腕に抱き、祠を出て行く犬夜叉。

 

壁から、身を起こすことも、二人を見送ることもなく、

ただ静かに去っていく犬夜叉に、精一杯の平常心を保つ。

 

(・・・いいから。・・・もう、いいから・・・)

 

 

 

 

 

 

 

祠から出ると、弥勒と珊瑚が黙って、その様子を見守っていた。

 

桔梗をその場所まで送り届ける。

 

そう告げると、弥勒は「戻るのか?」と尋ねたが、

応えることもなく、黙って森へと入っていく。

 

「犬夜叉・・・。」

 

弥勒は、振り返ることもなく去っていく犬夜叉の背を見つめた。

 

(お前は何を選ぶ・・・というのだ?)

 

 

 

 

 

 

弥勒は、祠の中に残されたかごめが気に掛かり、

半開きのままの扉を開けた。

 

「かごめ様?大丈夫ですか?」

 

返事はない。

 

「かごめ様?」

 

もう一度、その名を呼び、部屋を見回したとき、

扉の脇で壁に寄りかかる様に腰掛けていたかごめに気付いた。

 

「かごめ様?」

 

その言葉に応えることもなく、その体は壁に沿う様に

どさっと横に倒れた。

 

「かごめ様!どうしました?かごめ様!」

 

 

倒れたかごめの体に触れる。

 

(熱い!)

 

風邪で熱を出したときとはまるで違う。

 

その体は、汗ひとつ滲むこともなく、ただ熱く熱を持っていた。

 

「珊瑚!・・・珊瑚!来てくれ!」

 

気を失った七宝と雲母を介抱するため、祠の向こうへと

身を寄せていた珊瑚を呼んだ。

 

「法師様?何かあったの?」

 

「かごめ様がひどい熱だ!」

 

「・・・かごめちゃん!」

 

 

弥勒達の声に何ひとつ応えず、かごめはそのまま目を閉じていた・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「桔梗、体はもう大丈夫か?」

 

 

 

 

 

桔梗にいわれた場所、山の麓に同じような祠があった。

 

そこに、桔梗が遣わした式神が結界を張り、帰りを待っていたのだった。

 

桔梗は戦う前に必ず式神を放ち、結界を用意しておく。

万が一、手傷を負ったとき、

又は、結界や緊急を要する事態に陥ったとき、

それは使われる。

 

もし、自分が命を落としたときは、

そのまま式神諸共消滅するので、残し行く心配はない。

 

ただ、仲間や連れのいない、孤独な旅路。

 

この結界と式神のみが彼女の仮初の安息の場となっていたのだった。

 

 

 

此度の戦い。

奈落からの刺客に徒ならぬ窮地へと迂闊にも陥ってしまった。

 

偶然通りかかった犬夜叉達に助けられたことは偶然か。

 

それとも運命なのか。

 

いずれにしても、未だ命は繋がれている。

 

かつて、愛した男、犬夜叉の手によって、

湖の底に沈んだ体を引き上げられ、

そして、

自分と同じ魂を持つ、転生した女、かごめによって浄化された瘴気。

 

 

あの時、聞こえた言葉。

 

 

 

――――――あなたの心に想う人がいるんでしょう?

 

――――――あなたを想う人が待っているんでしょう!

 

――――――生きて!・・・もう一度、犬夜叉と会って・・・!

 

 

 

 

もう一度、生きる?

 

既に滅んだ肉体に何の価値がある?

 

犬夜叉に会って、何を話す?

 

 

 

 

 

・・・心に想う人?

 

・・・私を想う人だと?

 

 

 

お前は、そんなことを本気で言っているのか?

 

お前こそ、どうなのだ?

 

私が疎ましいのであろう?

 

憎いのだろう?

 

 

 

 

 

なのに、なぜ助ける?

 

 

 

 

 

死魂虫が桔梗の体を取り巻き、かき集めた女達の啜り泣きが聞こえてきそうな

ぼんやりとした死魂を骨と墓土でできている冷たい肉体に取り込んでいく。

 

 

 

桔梗は、そっと胸に手をあてた。

 

・・・まだ、あたたかい

 

 

 

 

 

 

何度か、かごめの手によって掬われたこの肉体。

 

その度にお前のぬくもりに思い知らされる。

 

お前のあたたかさ、ぬくもり・・・。

 

 

 

 

――――――お前の想う人は誰だ?

 

――――――お前を想う人とは、誰だ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「桔梗、もう体はいいのか?」

 

暫く横たわっていた祠から出てきた桔梗に犬夜叉は声をかけた。

 

 

 

 

 

犬夜叉は、あれから、ずっと、片時も離れることもなく

扉の傍で桔梗の回復を見守っていた。

 

 

 

祠の外で、怪しい気配はないか。

また、奈落からの刺客が襲ってきやしないかと

また同じ誤ちを犯さぬよう、

神経を尖らせ、桔梗が元に戻るときをただひらすらに待ち望んでいた。

 

 

 

あれから、何度目の夜を越えたろう。

徐々に回復の兆しを見せ、やがて体を起こすようになってきた。

 

飛び交う死魂虫が運んでくる魂を無機質な肉体に取り込んでいく。

 

その様子は、確かに人間のなせるものとはいえなかったが、

その無事を望むことは果たして罪なのか。

 

祠から顔を出し、以前と変わらぬ姿を確認するかのように

その様子を伺った。

 

桔梗は、犬夜叉に目を向けることもなく、

夜空を見上げ、呟いた。

 

「・・・もうよい。死魂は満ちた。」

 

「そうか。」

 

桔梗と対照的に俯く犬夜叉。

桔梗は見逃さなかった。

 

犬夜叉の心の底に押し殺した感情。

 

それは・・・。

 

 

 

 

 

「もう仲間のところに戻るがいい。」

 

「何いってやがる!いつ、また、奈落が襲ってくるかも
          知れねぇってときにお前一人残せるわけねぇだろ!」

 

「もう、死魂は満ちた。体は動く。」

 

「だが、いつ襲ってくるかも知れねぇ。」

 

引き下がらない犬夜叉に桔梗は諭す。

 

「先般のかごめの浄化は、かごめ自身にも相当の負担があったはず。」

 

「な、・・・!」

 

桔梗の口から、かごめの名が出たことに動揺する犬夜叉。

 

「私はもう死んだ人間だ。・・・今はただ奈落を討つのみ。」

 

「だが、おめぇは・・・、おめぇはこうして生きてるじゃねぇか!」

 

「・・・もう、仲間の元へ戻るがよい。」

 

「桔梗・・・。」

 

「お前の心に想うところへ・・・、戻るがいい。」

 

「・・・!」

 

桔梗は、夜空で空を舞う死魂虫を呼び寄せると、

体を宙に浮かせた。

 

「まだ戦いは終わらぬ。」

 

「桔梗!」

 

「かごめに伝えるがいい。あの言葉、そのまま返すと・・・」

 

「何のことだ?」

 

「・・・・・」

 

そのまま、死魂虫と共に夜空に消えていく桔梗。

 

 

 

――――――お前の想う人は誰だ?

 

――――――お前を想う人とは、誰だ?

 

 

(それは・・・わかっているはずだ。犬夜叉・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かごめちゃん、具合はどう?」

 

時を同じくして、かごめも桔梗を救った祠で横たわっていた。

 

桔梗を助けた後、意識がなくなり、目が覚めるまで何日経ったろう。

 

弥勒や珊瑚、はたまた七宝の懸命の看護により、

ようやく意識を取り戻したのは、今朝方だった。

 

「ごめんね。珊瑚ちゃん、もう大丈夫だから・・・」

 

(大丈夫、なんて顔じゃないよ・・・)

 

珊瑚は必死で笑顔を作るかごめの心情を察し、胸を痛ませた。

 

 

 

かごめを一人残し、桔梗と共に去ってから、何日経つのか。

 

熱の引かない体を看病し続けた珊瑚には痛いほど伝わった。

 

『・・・犬夜叉!行かないで!』

 

そんなうわ言を何度叫んでいたろうか。

 

珊瑚は、その度に手を握り、流れる涙をふき取った。

だが、目を覚ましたとき、かごめにはその記憶がまるでない。

 

 

 

 

「何か食べたい?探してくるけど・・・」

 

「まだ食欲ないからいい。」

 

「でも、少しは何かお腹に入れないと・・・」

 

 

 

 

 

珊瑚は、祠から出ると、外で火を焚き、暖を取る弥勒に声をかけた。

 

「法師様。」

 

「どうした、珊瑚?」

 

「見ていらんないよ。あんなかごめちゃん・・・。」

 

「・・・」

 

かごめの発熱の原因はおそらく桔梗を救わんがために自ら発した

霊力であったことは容易に想像がつく。

 

これは、強い霊力をもつかごめとそれに共鳴する桔梗だからなせる業。

 

だが、今のかごめは、ただ傷ついた一人の少女に過ぎない。

その傷をどう癒せばいいのか。

 

弥勒も珊瑚も必死に思慮するも妙案どころか、何一つ解決できるものは出ない。

 

 

 

 

犬夜叉さえ帰ってくれば・・・。

 

答えがどうでようと後は二人が決めること。

我々がどうこう言って変わるものではない。

 

 

 

「・・・犬夜叉さえ帰ってくれば・・・」

 

珊瑚は火に木をくべ、呟いた。

弥勒は、黙って珊瑚の肩を引き寄せ、そっと抱きしめた。

 

「つらいな・・・。」

「うん・・・。」

 

 

 

 

 

 

 

やがて、弥勒は森の向こうから、足音が忍び寄ってくる気配を感じ、身構えた。

 

「誰か来る!」

 

珊瑚も咄嗟に飛来骨を手に取り、弥勒が見据えるほうへと睨み付けた。

 

 

 

近づくのは・・・。

 

 

「犬夜叉!」

 

「戻ってきたの!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かごめはどうした?」

 

犬夜叉は戻るなり、かごめの姿を探した。

 

「祠の中で休んでいる。・・・桔梗様はどうした?」

 

「もう動けるようになった。」

 

「そうか・・・。」

 

弥勒は、祠に目を向けると「呼んでくるか」と尋ねた。

 

「いや・・・。弥勒、頼みがある。」

 

「なんだ?犬夜叉。」

 

「珊瑚たちと先に楓ばばぁの村に帰っててくれねぇか?」

 

弥勒はその意をどう汲み取ったのか。

暫く考えてから「わかった」と頷くと

珊瑚に皆で雲母に乗って、先に戻ることを告げた。

 

「犬夜叉、一言言っておく。」

 

「なんでぇ?」

 

「もし、かごめ様を傷つけるような真似をしたら・・・」

 

「・・・」

 

「私とて、この風穴・・・、開くことを忘れるな。犬夜叉。」

 

「・・・んなことぁ、わかってるよ・・・。」

 

「犬夜叉!あんたってば・・・」

 

「珊瑚!よせ!」

 

錫杖を前に差し出し、飛び掛ろうとする珊瑚を止めた。

 

「では、先に戻っているからな。」

 

「ああ。」

 

 

 

寝ている七宝を抱き、弥勒と珊瑚は雲母に跨ると、

祠にかごめと犬夜叉の二人をそのままに、楓の村へと向かった。

 

 

(二人で戻って来い!犬夜叉!)

 

 

弥勒も珊瑚も同じ思いを抱え、二人を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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