First rain     1       200610.5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「桔梗ー!」

 

 

目の前に立ちはだかる高い崖を見上げ、叫んだ。

 

がけの上を見上げると、数匹のどす黒い死魂虫が宙を舞い、

何かを取り巻くように蠢いている。

 

 

 

犬夜叉には、それが何なのか、瞬時に鋭い嗅覚が捉えた。

 

 

―――桔梗!なぜ一人で立ち向かう?

 

―――なぜ、俺を呼ばない!

 

 

一も二もなく、高く飛び上がる。

崖を飛び上がり、鉄砕牙を振り下ろす。

 

「桔梗ー!」

 

 

 

 

 

 

 

「弥勒様!珊瑚ちゃん!」

 

かごめが空を見上げた。

飛び行く犬夜叉を見上げ、弓を引く。

 

 

パーン!

 

 

矢が一匹の死魂虫に命中し、弾けとんだ。

 

「かごめちゃん!雲母に乗って!」

「うん!」

 

 

かごめは珊瑚に捕まると、雲母が勢いよく空をかけ、

犬夜叉の後を追い、崖へと飛び上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

死魂虫は、風の傷で消し去られていた。

 

だが、骨と墓土を死魂虫で満たさなければ動かない

桔梗の体は既に立つこともできなくなっていた。

 

 

「桔梗!」

 

「・・・犬・・・夜叉・・・」

 

 

 

その体は、崖の間際で揺らいでいた。

 

手に持つ弓が足元に落ちる。

 

 

 

その瞬間、頭から・・・、まるで時間が止まったように、

だが、伸ばしかけていた犬夜叉の手は間に合わなかった。

 

「桔梗!」

 

 

 

 

かごめたちの目の前。

 

崖の上から、何かが落ちてくるのが見えた。

 

白と赤。

 

 

 

「桔梗!」

 

かごめも叫んだ。

 

「雲母!早く!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて、白と赤は崖の下、湖へと小さな音を立て、沈んだ。

 

後を追う、緋の衣。

 

「犬夜叉ー!」

 

水面に沈む犬夜叉もまた目で追う。

 

「犬夜叉ー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

湖の祠の傍で、弥勒と珊瑚は犬夜叉の帰りを待った。

 

あれしきのことで犬夜叉が死ぬようなことはあり得ない。

 

だが、桔梗は?

 

死魂虫は吸い尽くされ、既に体を動かすこともままならない状態で、

どうしたものか。

 

 

 

湖の辺で、一人。

胸元で固く手を握り、じっと見つめて待つかごめ。

 

(犬夜叉・・・、桔梗・・・!)

 

 

 

 

 

 

 

 

湖の向こう。

 

待ちわびた緋がうっすらと見えてきた。

 

(犬夜叉!)

 

かごめは、水の中に足を踏み入れ、駆け寄ろうとした。

 

やがて、その姿が目にはっきりと映し出される。

 

 

ズキ・・・

 

 

 

犬夜叉の腕に抱かれ、湖畔から出てきた犬夜叉。

 

力なく、その腕でぐったりと体を預ける桔梗。

 

 

 

かごめは固唾を飲み込みつつも、再び駆け寄る。

 

 

「桔梗は?桔梗は大丈夫なの?」

 

「・・・ああ。だが肩の傷が・・・。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かごめの前を過ぎていく二人。

 

 

 

 

かごめの体は硬直したまま。

 

 

 

犬夜叉の目にあるのは、腕に抱く桔梗。

その眼差しは、いつもかごめを見つめる目と異なるのを見逃せなかった。

 

 

 

 

 

―――俺は、こんなにも大事な女の一人も守れないのか!

 

 

 

 

黙って、祠へと桔梗を抱いたまま、中へと入る。

 

 

かごめは、振り返り、その後を追った。

 

 

 

 

ズキ・・・

 

 

 

祠の中に入ると、犬夜叉は静かに桔梗の体を横たえた。

 

膝を突き、桔梗の冷たい頬に手を添える。

 

「・・・桔梗?俺の声が聞こえるか?」

 

「・・・」

 

 

 

その応えは帰らない。

 

薄く開く目にまだ息があることに安堵するも、

冷たい体は何ひとつ反応がない。

 

「桔梗・・・」

 

犬夜叉は、横たわる桔梗の体に覆いかぶさるように抱きしめた。

 

「目を開けてくれ!・・・桔梗、頼む!」

 

 

 

 

 

 

 

かごめは、そっと祠の扉を開けた。

 

 

ズキッ

 

 

 

かごめの胸に感じる慟哭は痛みとなって体を芯を貫く。

 

 

薄暗い祠の中では近づくかごめに振り向くこともなく、

ただ、桔梗の名を呼び続ける犬夜叉の背が目に入った。

 

 

 

―――結局、私の入る隙間なんてなかったのよね・・・

 

 

 

 

 

 

かごめの脳裏に浮かんだのは、何度かの抱擁。

 

 

かごめの腕を引き寄せ、熱い胸に誘い、抱きしめる。

 

半ば強引に・・・

 

時には、いたずらのように・・・

 

 

 

 

重なる唇を思い出す。

 

 

 

 

だが、今、目の前の光景はそれをすべて否定するかのように

泡沫のように、薄く遠のき消え行く。

 

 

 

やっぱり、犬夜叉の中には桔梗が・・・、

桔梗だけがいるのね・・・

 

 

 

 

 

かごめは、そっと犬夜叉の背後から桔梗を見下ろした。

 

 

いつもと変わらない済ました顔。

 

だが、その姿に生気はまるでない。

 

 

「桔梗・・・。」

 

 

 

 

黙って桔梗の体を抱きしめたまま蹲る犬夜叉の肩に手を添えた。

 

「桔梗を助けましょう・・・」

 

その言葉にようやく反応したかのように、ゆっくりと顔を上げる。

 

「やってみるから・・・。」

 

「かごめ・・・」

 

「大丈夫よ、犬夜叉。」

 

 

 

 

 

犬夜叉は、桔梗から少し離れると、その場所をかごめに譲り渡した。

 

かごめは、「ごめんなさい」と小さく呟くと

胸元の襟をそっと開く。

 

 

 

淀んだ瘴気が体の外に漏れ出すように流れてくる。

 

(ひどい・・・!)

 

 

 

 

流れ出た瘴気がやがて、床を這い、犬夜叉の足元に漂い、衣を焦がす。

 

 

「ひでぇ瘴気だ・・・。」

 

床に跪くかごめの足にもその瘴気が降りかかる。

 

 

(痛い・・・!)

 

 

かごめは両手を桔梗の肩に翳した。

 

見えない空気の抵抗を感じるように流れ出る瘴気に押され、

掌が体に触れられない。

 

(このままじゃ、本当に死んじゃう!)

 

 

 

―――もし、ここであきらめたら、犬夜叉は、一生後悔して生きていくことになる!

 

 

桔梗の死は犬夜叉の絶望そのものと諭したかごめは、

「外に出て・・・」と犬夜叉に告げた。

 

「かごめ・・・?」

 

「桔梗を助けたいの。」

 

「だが、この瘴気だらけの部屋じゃ・・・」

 

「いいから、出てて・・・。お願い。」

 

 

桔梗をそのままにして離れることを拒むのか。

それとも、二人きりにすることに抵抗があるのか。

 

 

なかなか祠を出ようとしない犬夜叉が何を思うのか。

 

だが、考える余地はないと思ったのか、

黙って扉のほうへと足を向けた。

 

 

「必ず助けるから・・・。」

 

その言葉に立ち止まり、振り返る犬夜叉。

 

「私も命がけで助けるから、・・・信じて。犬夜叉。」

 

「かごめ・・・。」

 

犬夜叉はかごめの目を見つめた。

 

―――必ず助けるから!

 

―――命がけで助けるから!

 

 

かごめの瞳に曇りはなかった。

揺ぎ無いその眼差しを信じ、犬夜叉は「頼む」とだけ言い残し、

祠の扉を閉めた・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祠の外に出ると、弥勒と珊瑚、七宝に雲母が心配そうに見守っていた。

 

「犬夜叉、かごめ様と桔梗様は中に?」

 

「ああ・・・。」

 

弥勒は、その応えに黙って祠を見つめる。

 

珊瑚も言葉なく、扉のほうへと目をやった。

 

(かごめちゃん・・・!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「桔梗?聞こえる?」

 

かごめは桔梗の肩から流れ出る瘴気を抑えるように手を翳し、

何度も何度も呼びかける。

 

だが、その反応はまるで感じない。

 

座り込んだ足元の瘴気がかごめの足に纏わりつき、

膝がシュー…と音を立て、赤く染める。

 

 

 

「桔梗・・・。目を覚まして!」

 

かごめはもう一度、手に力を込めた。

 

「・・・あなたの心に想う人がいるんでしょう?」

 

かごめの瞳から一筋の涙が頬を伝い始める。

 

「あなたを想う人が待っているんでしょう!」

 

「・・・桔梗!生きて!・・・もう一度、犬夜叉と会って・・・!」

 

頬を伝う涙が桔梗の頬へと落ちた。

 

「お願いよ!桔梗!」

 

一粒、また一粒・・・。

 

 

 

流れ落ちた涙は、やがて桔梗の瞳へと伝い、

それは、まるで桔梗の流した涙のようにポロリ・・・と毀れた。

 

 

 

 

 

 

「・・・」

 

「桔梗?」

 

「・・・い・・・」

 

「気がついた?」

 

「い・・・き・・」

 

「そうよ。生きて・・・。桔梗。」

 

「・・・」

 

一瞬、桔梗の口から、僅かばかりの声が漏れた。

瞼が上がり、その瞳はかごめを映した。

 

 

 

「桔梗ー!」

 

 

 

 

かごめは桔梗の体にしがみ付き、大声で叫んだ。

 

その瞬間、二人の体を包み込みながら、青白い閃光が発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ?この感じは?」

 

感じたことのない空気を肌で感じ捕らえ、弥勒が祠に目をやる。

 

同じように犬夜叉も祠のほうに振り返り、扉へ近づいた。

 

カー・・・ッ

 

 

 

扉を突き抜け、青白い閃光が祠から飛び出した。

 

「うわー!」

 

その光りをもろに被る犬夜叉。

 

強い光に目が開けられず、水干の袖で顔を覆うものの、

夜の闇さえ引裂こうかと思える強い青白い光がその辺り一体を包み込んだ。

 

 

 

「犬夜叉!お前!」

 

光から逃れるように屈みこんだ犬夜叉の異変に弥勒は叫んだ。

 

「お前、変化が・・・!変化が解けてるぞ!」

 

 

犬夜叉の銀の髪が瞬く間に黒く染まっていく。

大きく見開いた瞳もまた黒く変わり始めた。

 

 

 

「なんだ?朔じゃねぇのに!」

 

犬夜叉は自分の手から消えていく爪を見つめ、思い返した。

 

―――この感触は、あの時の・・・!

 

 

 

 

 

一度だけ。

 

そう、あの時。

 

白霊山で、結界の中に踏み込んだ時のこと。

聖地と呼ばれ、崇められていた場所で七人隊と戦ったときのこと。

 

その聖域は穢れを許さず、万物の妖をすべて薙ぎ払った。

 

そのとき、犬夜叉の妖力は消し去られ、人間として戦わざるを得なかった。

 

 

 

「この光りは一体・・・?!」

 

犬夜叉は、人間の姿に変わりながらも祠へと近づいた。

 

 

バチバチ!

 

 

「・・・結界?!」

 

光包まれる祠へは近づけなかった。

 

弥勒も光を遮るように腕を顔に翳