乱  ―2―             (2007.5.4)

 

 

 

 

 

 

 

 

井戸の傍。

背中に当たる土間の感触は冷たかった。

 

だが、それ以上に冷ややかに感じているのは恐らく自分の胸のうち。

 

見上げた先には暗闇の中でもはっきりと輪郭を捉えられるほどの距離にある

恭平の眼差し。

 

井戸に手をかけようとした瞬間、引き戻された腕は

そのまま、地面へと押し付けられ、かごめは自由を奪われていた。

 

 

犬夜叉のいる戦国時代、井戸の向こうに行くことができなかった。

 

(犬夜叉・・・・!)

 

 

 

 

恭平は、真下にとかごめの体を押さえつけ、声を荒げた。

 

 

「君は死にたいのか!」

 

「・・・?」

 

「こんな夜、井戸に飛び込むなんてどういうつもりだ?!」

 

 

井戸の向こう・・・

 

そうだ・・・

 

まさか、この先に違う世界があるなんて、普通は考えもしない・・・

 

 

恭平が自分の取った行動を阻むのも無理はなかった・・・のだろうと

今更ながらに思い始めた。

 

このまま、彼に・・・

 

そう思った自分に情けなさをも感じてきた。

 

(そうよね・・・。石田さんだって、そんな馬鹿なこと考えるような人じゃないわよね・・・)

 

 

かごめは緊張を解き、抵抗を試みていた腕をぱたり・・・と地面にと落とした。

 

 

「・・・・・。」

 

 

恭平の手にその感触を感じ取ったのか、

跨るようにしていた体を起こし、そのまま井戸へと視線を向けた。

 

 

「死ぬほど・・・逃げたかった?」

 

「え?」

 

 

どこか、冷ややかな言葉がかごめの頭上から響く。

 

 

「ここから逃げられないなら、・・・いっそ井戸へと飛び込んだほうがマシってこと?」

 

「石田さん?」

 

「・・・・・。」

 

「石・・・田さ・・・、・・・!」

 

 

恭平はかごめの言葉に聞く耳も持たず、そのまま体を重ねるように覆い被さり、

身動きままならぬ柔らかな肢体を抱きしめた。

 

 

「・・・い、石田さん!何?!」

 

「・・・・・。」

 

 

だが、その腕には益々力が篭り、さっきまであった安堵感は一瞬にして消し飛んだ。

 

 

「いや!離して!・・・やめて!」

 

「・・・・!」

 

「いや!離して!」

 

 

恭平の背を叩き、肩を掴み、その身を剥がそうにも恭平は動じなかった。

 

 

「離して!いやったら!・・・石田さん!」

 

「・・・嫌だ!離さない・・・!」

 

「やめて!」

 

 

身を捩り、叫んだ。

暗い祠の中、響く声。

 

だが、恭平は腕を解くこともなく、そして叫んだ。

 

 

「・・・君が好きだ!」

 

「!」

 

「君が欲しい・・・。」

 

 

その言葉の後、恭平は自分の顔を重ねようと

地面に押さえつけていた手をかごめの顎へと移した。

 

 

(や!いや!・・・犬夜叉・・・!)

 

 

寸前に迫る嵐のような激しい感情に成す術もなく

かごめは硬く目を閉じた。

 

 

(いや!・・・・いやよ!)

 

 

息が拭きかかるほど、間近に合ったはずの気配。

 

「・・・・?」

 

そう思った瞬間、自分を押さえつけていたはずの恭平の姿はなかった。

 

 

「・・・・あ!」

 

 

闇に浮かぶ緋色の衣が凄まじい勢いでかごめに覆い被さっていた

体を引き上げ、壁へと叩きつけていた。

 

 

「うがっ!」

 

「犬夜叉!」

 

 

犬夜叉の瞳は怒りに満ちていた。

 

既に鉄砕牙を引抜こうと、柄に手さえかけていた。

 

かごめは、はっと我に返ると咄嗟に叫んだ。

 

 

「おすわり!」

 

「ふぎゃ!」

 

 

地響きとともに犬夜叉は井戸の脇へのめり込んだ。

 

その様子に恭平も頭を押さえつつ見つめ、

そして『彼』が来たことを知る。

 

――――かごめに纏わりつく男!

 

恭平も負けじと体を起こし、犬夜叉を睨みつけた。

怒りに満ち満ちた金の瞳と視線を合わす。

 

 

「お前・・・・!」

 

 

地面に伏せたまま、顔を上げ恭平を睨み上げる

怒りに満ちた金の瞳は闇夜にもはっきりと浮かび上がっていた。

 

 

「おめぇ、まだ・・・!」

 

「やめて!犬夜叉!」

 

 

言霊を食らってもなお、身を起こし飛び掛ろうとした犬夜叉に

かごめは、その動きを抑制するべく

銀の髪ごと抱え込むように首に腕を回し、しがみ付いた。

 

 

「やめて!犬夜叉!」

 

「かごめ!」

 

「だめよ!死んじゃうわ!」

 

「離せ!・・・こいつ・・・、許さねぇ!」

 

 

犬夜叉は飛びついたかごめの体を片手で軽々と抱き上げ、立ち上がった。

 

人では成し得ない、その出で立ちに恭平は再び恐怖の戦慄を覚える。

 

 

こいつは何者なんだ・・・?

 

 

だが、恭平ももう後には引き下がれない。

 

 

「かごめちゃんを放せ!」

 

 

ぐっと拳を上げ、犬夜叉を睨んだ。

 

 

「言った筈だ。かごめに関わるなと・・・。」

 

「何?」

 

「次は殺すと!」

 

 

かごめを抱えたまま、鉄砕牙を引抜く小さな金属音がかすかに響く。

 

 

「・・・!犬夜叉・・・!だめよ!」

 

「・・・かごめ・・・ちゃん・・・。」

 

「・・・・!」

 

 

 

 

 

 

 

 

かごめは、犬夜叉に唇を重ねた。

 

首にと回していた腕に力を込め、固く抱きしめ、

そして幾度となく愛しい男の唇にと吸い付いた。

 

 

夢幻城で妖怪へと変化した犬夜叉の暴走を止めたときと同じように・・・

だが、今はそれよりも深く熱く・・・

 

 

(かごめ・・・・)

 

 

引抜きかけていた鉄砕牙から手を離し、

小さな頭に手をかけると、かごめの想いに応えるかのように

激しく熱く唇を重ね合わせる。

 

 

「かごめ・・・ちゃん・・・。」

 

 

張り詰めていた緊張が虚脱感と成代わる。

 

目の前でまるで紅い獣のような男が

かごめを持ち上げたまま抱きしめていることもさることながら、

彼女自身もまた、その獣に身を捧げるが如く重なる姿は

市井の人間である恭平には理解し難く、

それは虚脱感しか見舞われぬ光景だった。

 

 

暫く口付けを交わした後、犬夜叉の怒りも落ち着きを見せたことを

感じ取ったかごめは、ゆっくりとその顔を離し、

一瞬犬夜叉に笑みを浮かべると、

そのまま恭平へと視線を移した。

 

 

「帰って。」

 

「・・・・。」

 

「今日はもう・・・帰って・・・。」

 

「・・・かごめ・・・ちゃん・・・。」

 

「ね?お願いだから・・・、石田さんお願い。」

 

 

 

 

 

 

 

 

恭平は後ずさりしつつ扉に手をかけると、

逃げ出すかのように、足早にその場から立ち去っていった。

 

犬夜叉は、かごめの体を抱き上げたまま、

祠の扉を睨みつけていたが、その鋭い嗅覚は、

やがて恭平が神社の敷地内から姿を消したことを捉えると、

今にも抜こうと構えていた鉄砕牙から手を離し、

そして、その手をそのまま、祠の外を見つめていたかごめの頭を

自分へと引き寄せた。

 

 

「・・・犬・・・ん!」

 

「・・・・・。」

 

 

先は、かごめが怒りを露にした犬夜叉を止めようと重ねた唇を

今度は犬夜叉が何を思ってか、

抱き抱えていたかごめのその小さな頭を自分の顔へと押し付け、

瑞々しい唇を貪るようにと食らいついた。

 

 

「・・・ん・・・・んん!」

 

「・・・・・。」

 

 

ままならぬ息継ぎ。

 

体ごと抱き抱えられたかごめは宙に浮いた足先にさえ力を込め、

その激しいほどの情愛を一身にと受け止めるかのように

犬夜叉の求めるがまま、口内までをも押し入る想いに必死で応えた。

 

 

暫くした後、かごめの息継ぎと溜息、

そして、彼女自身が本当に無事であったことを見据えた犬夜叉は

扉の傍に置かれていたリュックを見つけ、手に取ると、

かごめを片手に抱えたまま井戸の向こうへと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

井戸を超え、戦国時代に辿りついた二人は終始無言だった。

 

犬夜叉は井戸の底に着くなり、ふと見上げた夜空から

雨が降り始めていたことに気付くと、

抱き抱えていたかごめをそっと地面にと降ろした。

 

 

「・・・あ!痛!」

 

「かごめ?」

 

 

先の祠の井戸での出来事で、かごめは足を挫いていたのか、

顔を顰めながら、そのまま犬夜叉の体へと倒れこんだ。

 

 

「ごめん、犬夜叉。」

 

「足首、痛てぇのか?」

 

「ちょっと挫いたみたい・・・。」

 

「・・・・・。」

 

 

犬夜叉は「大丈夫」と微笑むかごめを見つめると、

徐に水干の上着を脱ぎ、かごめの体を包み込んだ。

 

 

「い、犬夜叉?」

 

「・・・・・・。」

 

 

そのまま、再びかごめの体を抱え込むと、

犬夜叉は井戸を飛び跳ね、

そして夜の闇の中、森の奥へと駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人が辿りついた場所は楓の村から少し離れた山の中腹に佇む荒れた小屋。

 

またぎ達の休みどころに使っていたのだろうが、

今の季節は山に入るものもなく、

荒れ果てたところはあるものの雨風避けには充分だった。

 

犬夜叉は板間に上がりこみ、静かにかごめを衣ごと降ろし

戸板を閉めると、再びかごめの元まで戻ってきた。

 

 

緋の衣に包んだかごめの前に跪く。

犬夜叉は恰も宝玉を取り出すかのようにゆっくりと衣を開いた。

 

 

緋色の衣の上を転がり落ちていく雫。

 

床板に一粒。

また一粒と落ちていき、

そして、中からは瞳を伏せたかごめが

そこにいた。

 

 

「・・・・・。」

 

 

それは、まるで朝露に濡れた夜明けの緋牡丹が

花弁を地に落とすかのように

美しく、そして眩い光景。

 

花弁の奥に潜む美しき雌蕊【めしべ】が顔を出す。

 

 

「かごめ・・・。」

 

 

その一言にかごめはようやく瞳を開け、

自分の名をさも愛しそうに呼ぶ声の主を見つめ返した。

 

 

「犬夜叉・・・・。」

 

 

そして、またかごめも同じように目を見張る。

 

銀の髪を濡らした雨は、

銀糸の輝きを引立たせるかのように光り、

やがて毛先から玉となって落ちていく。

 

濡れた銀糸の隙間から覗かせる金の瞳もまた揺らぐように

輝きを放ちながら、じっと自分を見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聞こえてくるのは、激しく降り注ぎ始めた雨音。

 

他には何もなかった。

 

 

しばし、お互いを見つめあった後、

犬夜叉はかごめの挫いた足を見ようと

靴と靴下を取り払い、両手で包み込んだ。

 

 

「こっちはどうだ?」

 

 

「他に痛むところはないか?」

 

 

丹念にかごめの足を愛でるかのように手に包み込む。

 

 

「大丈夫よ、大したことないから。」

 

「・・・・・。」

 

 

だが、犬夜叉はその細い足首を摩るのをやめることはしなかった。

 

むしろ、責めを受けるかのように

更に身を屈ませると、

そのまま、白い足首に静に唇を落とした。

 

 

「・・・!い、犬夜叉?」

 

「・・・・・。」

 

 

さすがのかごめもその仕草に驚きを隠せなかった。

 

足を挫いただけの自分になぜここまでするのかわからなかった。

 

誰に対しても傲慢で人への関心もない男が

自分に平伏し、そして、唇を落としている。

 

 

「やめて!犬夜叉!」

 

 

だが、犬夜叉は引こうとする足首をしっかりと掴み離しはしなかった。

 

 

「ねぇ、犬夜叉?大丈夫だから。ねぇ・・・。」

 

「・・・・・った。」

 

「え?・・・何?」

 

「悪かった・・・・。」

 

「何が・・・?何が悪いって言うの?」

 

 

かごめの細い足首に頬を宛がったまま、呟くように犬夜叉は言葉を発した。

 

 

「俺が傍にいなかったばかりに・・・。」

 

「そんなこと・・・。足を挫いたのは自分が・・・。」

 

「他の男なぞにお前が・・・・。」

 

「・・・・・。」

 

 

恭平がかごめに覆い被さってきたときのことが頭に過ぎった。

偶発的なこととは言え、それは・・・・。

 

 

「怒ってる?」

 

「・・・・・。」

 

「怒ってるの?」

 

 

 

 

 

 

誰がかごめを見ているんだ?

 

どういうつもりで見てるんだ?

 

 

かごめが欲しいだと?

 

こいつが他の誰かの目に映っている?

 

 

 

誰の目に晒されている?

 

誰がかごめを見つめている?

 

 

誰がかごめを・・・想っている?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お前の目に何が映っている?

 

俺以外に何が・・・・

何を・・・・

 

 

 

 

 

かごめ・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬、強い突風が吹き、戸板が大きな音を立て、小屋を軋ませた。

 

 

「・・・・・!」

 

 

自分を見ていたはずのかごめの視線が一瞬逸れ、外へと瞳が動いたときだった。

 

 

「かごめ!」

 

「きゃ・・・!」

 

 

犬夜叉は、そのままかごめの体を押し倒し、緋の衣の上へと組み敷いた。

 

 

激しい雨は、やがて遠くに雷鳴を轟かせ、

小屋を歪ませるような強い風が吹き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「犬夜叉・・・?」

 

「かごめ・・・。」

 

 

両の手首を押さえ込まれたかごめは、真上の金の瞳を見つめた。

 

思いつめた顔は不安に満ちたように険しく、

普段には感じない何かに溢れていた。

 

 

「犬夜叉・・・・。」

 

「・・・・・。」

 

 

その時、再び激しい風雨が戸板を叩くように拭きつけ、大きな音を立てた。

 

かごめはその衝撃音に驚き、顔を横へと向けたとき。

 

 

「かごめ・・・・!」

 

「・・・・!」

 

 

犬夜叉は、かごめの頬に手をかけ、自分へと向けた。

 

 

「・・・・・犬夜叉・・・。」

 

「俺から目を逸らすな。」

 

「・・・・・?」

 

「俺から目を逸らすんじゃねぇ。」

 

「犬夜・・・・、あ!・・・きゃ・・・!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『桔梗、お前は言った。俺の命はお前のものだと。ならば、お前の命は俺のものだ!』

 

『犬夜叉、大丈夫だ。奈落はおろか、他の男には髪の毛1本触れさせやしない。』

 

『奈落がお前に惚れているだと?そんなこと許さねぇ!虫唾が走る!』

 

『犬夜叉・・・・・。』

 

 









 

桔梗・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

犬夜叉は、組み敷いたかごめの制服の裾を捲くり上げると、

露にされた白い布で覆い隠している胸に飛びつくように顔を埋めた。

 

 

「あ!いや・・・!」

 

 

かごめの抵抗も言葉も何もなかった。

 

いとも簡単にかごめの上着を全て取り払い、

そして、白い柔肌を剥き出させ、覆い被さった。

 

 

双丘の蕾に手をかけ、口を落とし、貪りついた。

 

 

「あ!・・・犬夜叉!」

 

「・・・・・。」

 

 

 

 

 

 

 

『俺が君から彼氏の話を聞いて、一度でも君は幸せそうな顔をしたことがあるか?』

 

 

幸せそうな顔?

 

 

命がけで戦って、真剣に自分と向き合って想いあって・・・

 

 

『君は彼の愛玩でしかないんじゃないのか?』

 

 

愛玩?

 

 

 

 

 

 

 

 

違う・・・!

 

 

私は『愛玩』なんかじゃない!

 

 

私は・・・・

 

 

 

 

私は・・・・・・!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「犬夜叉!」

 

「・・・・・!」

 

 

かごめは自分に圧し掛かる犬夜叉の体を羽避けると、

そのまま、挫いた足を引きずりながら、

その場から逃げるかのように立ち上がり、

壁際へと後ずさった。

 

 

「かご・・・め・・・?」

 

 

露にされた胸を両手で覆い、壁際へと凭れ掛けたかごめ。

 

犬夜叉は、いつもと違うかごめの反応に

言葉を失い、自分の衣の上にただ跪くのみ。




立ちはだかる愛しき女を、呆然としてただ見つめるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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