乱  ―4―             (2007.5.24)

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・犬夜叉?

 

 

 

ねぇ、待って

 

 

 

 

どこ行くの?

 

 

 

 

 

・・・・桔梗?

 

そこに桔梗がいるの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「や!・・・いや!犬夜叉ぁ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・。」

 

 

はっと我に返ったのは、窓から挿し込んだ日差しが

瞼に当たったせいだけではなかった。

 

今の自分の顔色を窺い知ることは出来ずとも

多分白いか、または青ざめていただろう・・・と

その割にはじっとりと掻いた汗が急激に体温を下げ、

ますます顔色を悪くさせていたのではなかったろうか。

 

 

嫌な夢を見た・・・・

 

 

真っ暗な中、銀糸を流した背は、いつか見た夕日に溶けていく

後姿を彷彿させた。

 

かごめを見ることもなく、進む先に

うっすらと浮かび上がったのは白衣を纏う桔梗が

犬夜叉を見つめ、手招きをしている。

 

白くのびた美しい手は、かごめの知っている墓土と骨で出来た

「それ」ではなく、犬夜叉だけが知っている生きていた頃の

生暖かき血が流れる仄かに桜色にと染め上げられた瑞々しい甲。

 

そこに向かい、犬夜叉が一歩一歩と歩みを進め、

かごめから離れていく。

 

 

幾度となく、その名を呼べど振り返るどころか、

いつしか自分の声さえ消え、そして・・・・。

 

 

「・・・・犬、・・・・夜叉・・・・。」

 

 

かごめは布団を跳ねるかのように飛び起き、

上半身を起こしたまま、未だ収まらぬ動悸に軽い眩暈を覚えつつ、

ゆっくりと自分の周りを見回した。

 

 

ここって・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どう?かごめ。少しは疲れ取れた?」

 

 

笑顔の奥。

 

僅かに見せる心配そうな思いを後ろに

笑顔で母親がかごめの部屋へとそっと顔を覗かせた。

 

 

「・・・・もう大丈夫よ。ごめんね、ママ。」

 

「熱も大したことなかったようだし、元気になったんなら、いいけど。」

 

 

母親はベッドの中にと蹲るかごめを見つめる。

 

 

「大丈夫だから、心配しないで。ママ。」

 

「足のほうは、もう腫れは引いたの?」

 

「大したことないから。」

 

「そう?」

 

「少し休んだらお風呂に入るわ。」

 

「なんかお腹にいれないと。」

 

「・・・・うん。」

 

「なんか用意しておく?」

 

「自分でするから、いいわよ。」

 

 

母親は、かごめの顔色を伺い、

具合のほうもたいしたことがないことを確かめるように

そっと手を額にあて、優しく微笑んだ。

 

 

「あんまり犬夜叉君に心配かけちゃだめよ?」

 

「・・・うん。」

 

 

その一言を残し、母親は階下へと降りていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり生身の肉体には応えたのか。

 

あの後、かごめの体に触れたとき気づいた異変に

犬夜叉は取りも直さず、かごめを現代にと連れ帰ってきた。

 

 

『かごめ?どうしたの?具合が悪いの?』

 

 

心配そうに母親がかごめの顔を覗き込む。

 

 

『すまねぇ。・・・本当に・・・すまねぇ。』

 

 

かごめを頼むと言い残し、家を飛び出していった犬夜叉。

 

 

腕に抱いていたかごめを手放すときのあの瞳が忘れなれない。

 

惜しげならない、くすんだ金の瞳。

母親へと託したときの悲しげな表情【かお】。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

犬夜叉は戦国時代へとたどり着くや否や、

楓の村のほうに戻ることはせず、

そのまま、夜の闇の中を駆けていた。

 

 

かごめ・・・・!

 

 

握り締めた己の拳から滲み出る血。

 

人間と妖怪との間にと生まれた『半妖』の血。

 

 

見た目は人間と変わらぬ紅い血。

 

だが、その手より滴り落ちる血よりも

今頃になって気がつくかごめの流した涙の痛み・・・。

 

 

 

緋色の衣は闇に溶け要るかのように吸い込まれ、

そのまま姿を消していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軽く昼食を終え、風呂に入ろうと湯船に足のつま先を入れたとき。

廊下から電話のコール音が鳴ったのが耳に入った。

 

ごく普通の現代らしい日常。

 

かごめは深く体を沈めた。

 

湯船に張られた暖かいお湯が全身に染み渡る。

 

 

ふと俯き、何気に自分の腕を見つめると

思いがけないものに気がついた。

 

 

(・・・・これ・・・)

 

 

白く細い腕。

 

手首に見つけた跡。

 

 

 

(・・・これって、犬夜叉の指の跡・・・だ・・・)

 

 

 

激しい一夜を過ごしたあのとき。

 

その時はお互い夢中であったせいか、気づかなかったが

犬夜叉は思わず勢い強く掴んだのであろう、腕に残された指の跡。

 

不思議と爪で引っかいたような傷はなく、

ただ指の跡がそのときの激しさを物語るかのように

両腕に数本ずつ残されていた。

 

 

「・・・・・。」

 

 

かごめは、思いついたように湯船から飛び出すと

慌しくシャワーで浴室にかけられている鏡を流し、

曇りを取り払うと自分の姿、胸元を映し出した。

 

 

「・・・・・!」

 

 

体中に残されている、愛された跡。

 

それは、よく見ると首から下に幾つも残されている。

 

 

「・・・・あ・・・・。」

 

胸元に残された跡に手を宛て、その時のことを思い出す。

 

 

叩き付ける様な激しい雨音の中。

幾度も交わったときの犬夜叉の荒々しい息遣いと揺れ動く逞しい肩。

 

不思議と唸るように下腹部に何かが走る。

 

 

「あ・・・・、いや・・・・。」

 

 

愛されたはずなのに、体はそれに応えるのに

なのに、それに反して益々膨れ上がる切ない思い。

 

 

「犬夜叉・・・・、犬夜叉・・・・。」

 

 

出したままのシャワーに紛れるかのように大粒の涙を流し、

幾度となく愛しい名を口ずさむ。

 

掴まれた腕に残された指の跡が熱くなる。

 

 

「犬夜叉・・・・、犬夜叉ぁ・・・・!」

 

 

込み上げてくる思い。

 

溢れ出る大粒の涙。

 

 

かごめはタイルの上に蹲り、

犬夜叉の残した我が腕にと残された指の跡に口付ける。

 

肩を微かに震わせ、ようやく今堰を切ったかのように涙を溢し

嗚咽をあげつつも、それでも家人に気づかれないよう

気を配りながら、声を押し殺し、泣いた。

 

 

シャワーの音がかごめの泣き続ける声を掻き消すかのように流れ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「犬夜叉はまだ戻らないようですね。」

 

「・・・・法師様。」

 

 

地面へとしゃがみこんで何かを手に取る珊瑚に

背後から、弥勒が声をかけてきた。

 

 

「何を見つけたのですか?」

 

「うん。これ・・・・。」

 

 

手にしたのは一輪の萎れた花。

 

 

「・・・それは・・・。」

 

「多分、かごめちゃんが採ってた花だと思う・・・。」

 

「こんなところに・・・・。」

 

「・・・・・。」

 

 

珊瑚は深い溜息を尽きつつ、立ち上がり、

花が落ちていた場所から顔を移し、正面を見据えた。

 

 

その先には桔梗の眠る祠がある。

 

 

訪れる人が途絶えることはないことを知らしめるかのように

その墓標の前にはいつも季節の花が添えられている。

 

 

 

・・・・あの時、かごめちゃんが手に持っていた花だったよね・・・

 

 

珊瑚は萎れた桔梗の花をぐっと握り締め、頷いた。

 

 

小屋を飛び出していったとき、足元に落とした桔梗の花。

 

 

 

弥勒と珊瑚は、落ちていた花一輪から

かごめが何故、楓の小屋で泣いていたのか

思慮を張り巡らせることもなく自ずと答えを導き出す。

 

 

 

・・・・多分、見てしまったのであろう

 

 

 

犬夜叉がここに訪れていたときを

かごめは見つけてしまったのであろう。

 

 

 

人間となって共に生きていくことを誓い合った二人。

 

引裂かれてしまった運命。

 

四魂の玉と共に業火に包まれいく桔梗。

 

 

人に在らず、墓土と骨で蘇った、かつての想い人。

 

 

再会。

 

 

 

それはどう足掻いたところで消し去ることの出来ない過去。

 

 

僅かのすれ違いが生み出した悲劇。

 

封印された五十年。

 

復活と再会によって揺れた犬夜叉の心とかごめの思い。

 

 

弥勒は間近で、それを何度となく見てきた。

 

桔梗と犬夜叉の間にある二人以外立ち入れない過去。

 

 

 

だが、今を生きる二人の絆はそれを遥かに凌ぐことに気付いていないのか?

 

 

 

かごめ様の命を思う故に広がる不安。

 

それだけでも、間違いなく・・・

 

間違いなく、相手を思いやっているというのに・・・・

 

 

桔梗でさえ築けなかった深い信頼と思い。

 

 

 

 

「犬夜叉は、もう少しかごめちゃんのことを考えてやればいいのに!」

 

 

吐き捨てるように声を荒げた珊瑚に弥勒はすっと笑みを浮かべ、呟いた。

 

 

「大丈夫だ、珊瑚。」

 

「法師様?」

 

「あの二人なら、必ず超えられる。」

 

「超えるって、何を?」

 

「過去の柵【しがらみ】は過去のもの。生きるものには未来があるのですから・・・。」

 

「法師様?」

 

「今は静かに見守るのが一番なのだ。」

 

 

そういうと、怪訝な面持ちで自分を見つめる珊瑚を他所に

弥勒は改めて桔梗の祠へと手を合わせ、静かに経を唱え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暫くして風呂から上がってきたかごめを見つけた母親は

学校の友人から電話があったことを告げた。

 

 

「ああ、絵里?」

 

「そう。今お風呂に入っているからかけ直すって伝えたけど。」

 

「わかったわ、ママ。」

 

「もうママ、おじいちゃんのとこに行くけど大丈夫?」

 

「あ、今日は病院に泊まるの?」

 

「ええ。草太も親戚のおじさんちに行ったし。」

 

「肋骨の骨折、大丈夫なの?具合は?」

 

「元気よ。でも歳だしね。おじいちゃんもまさか

クシャミで骨折るなんて思わなかったんじゃない?」

 

「ごめんね。お見舞いにも行かなくて。」

 

「大丈夫よ。そんなに掛からないで退院しそうだし。」

 

「・・・・・。」

 

「それよりもかごめはもう行くんでしょ?」

 

「うん。夕方になる前には戻ろうかと思って・・・。」

 

「そう。気をつけて。戸締り宜しくね。」

 

「うん。ママも気をつけて。」

 

「キッチンにお菓子とか置いといたから、あっちの皆で食べて頂戴。」

 

「いつもありがとう、ママ。」

 

「犬夜叉君に宜しくね。」

 

「・・・・・。」

 

 

そう言って出かけていく母親を見送った後、

かごめは受話器を取り上げ、手馴れたようにダイヤルを押す。

 

 

自分は持っていない携帯の番号。

 

相手はすぐに電話に出た。

 

 

―――――かごめ?具合どう?

 

「元気よ。電話くれたって?」

 

―――――うん。石田さんにかごめが学校に来たこと伝えていたから

     その後、どうしたかなって思って。

 

「・・・・・。」

 

―――――石田さん、本気だよ?

 

「・・・・・。」

 

―――――嫉妬深いフタマタ暴力男より、ずっといいと思うけど。

 

「絵里・・・・。」

 

―――――ま、かごめの選ぶことだからね。

 

「・・・・・。」

 

―――――私はどっちでもかごめの味方よ?

 

「・・・・・。」

 

―――――本気の恋は応援するよ!

 

 

久しぶりに聞く級友たちの声。

 

元気のいい声は、一人泣いていたかごめの背を押すかのように

力を漲らせるのか、かごめに一筋の光明を見出させる。

 

 

「ねぇ、絵里。」

 

―――――ん?

 

「石田さんに伝えてくれる?」

 

―――――あ、メール?かごめは携帯持ってないもんね

 

「うん。ごめんね、使うようで。」

 

―――――いいけど、なんて?

 

 

かごめは一息つくと、

小さい声であっても、その口調は明確に言葉を述べる。

 

 

「石田さんに伝えて欲しいの。」

 

―――――なんて、送る?

 

 

 

 

 

「会って話がしたい・・・・と。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鋭い爪、指先が額に掛かる黒髪を一筋掬う。

 

唇を寄せると、かごめの息遣いと共に芳醇なる香りが全身を駆け巡る。

 

 

柔らかいかごめの香り。

 

安らぎと、そして、どこか懐かしささえ感じるやさしい匂い。

 

 

かごめの匂い・・・・

 

 

抱くたびに感じる、その匂いに何度溺れたことだろうか。

 

その芳しい香りに包まれながら、自分の腕の中で

艶かしく声をあげたかごめ・・・。

 

 

 

 

 

何の気なしに首筋に目を向ける。

 

 

そのすぐ下には規則正しく上下する胸元。

 

 

明け方まで交わった後だというのに、

何度抱いても飽きたらぬのか、

犬夜叉は音を立てるかのような嚥下の後、

寝息を立て寝入るかごめの体にかけていた直衣を取り払う。

 

 

 

山蔭にある荒れ果てた小屋とはいえ、

光がないわけではない。

 

 

床板に横たえた一糸纏わぬ白い肉体を日に晒し、

全てを眼に収めるが如く、じっくりと見回す。

 

 

ほんのりと色づいた柔肌。

 

胸元にある女性の象徴とも言うべき膨よかな乳房と

紅を落としたような蕾が艶かしい。

 

括れた細い胴体と丸みを帯びた腰元に

若々しい色艶よい茂み。

 

そこから伸びた足とつま先と・・・・。

 

 

「かごめ・・・。」

 

 

 

 

 

わかっている

 

 

さんざ交わったではないか

 

 

何も言わないかごめをいいことに

幾度となく求め抱いたのは自分じゃないか

 

 

まだ足りないか

 

 

まだ欲しいのか

 

 

 

 

頭のどこかではわかっていても

胸下でざわめく何かが腹の底から沸き起こる。

 

 

全てが欲しい

 

 

肉体も心も見るものも聞くものも

 

何もかも

 

 

 

お前の未来、久遠【くおん】の命、あるがまま存在全てが俺のものであれと・・・

 

 

 

犬夜叉は瞼ひとつ動かさぬかごめの足を割るように広げると、

己の膝を立て、屈むかのように床にと置かれた

顔の両脇にと手をついた。

 

 

 

冷静の面持ちなれど、熱く脈打つ己自身。

 

 

「・・・・・。」

 

 

犬夜叉はかごめの膝の裏にと手をかけ、

持ち上げると、熱くなっていた自身をぐっと宛がい、

愛しくてやまない肉体へと身を重ねた。

 

 

 

 

 

「・・・・?」

 

 

押し付けた自身にも僅かに感じる感覚。

 

徐に身を起こし、犬夜叉は叫んだ。

 

 

「かごめ?・・・かごめ?!」

 

 

 

 

重ね合わせた部分に伝わってきたのは

かごめの肉体がいつもより熱くなっていたこと。

 

 

「おい?かごめ!・・・どうした?!」

 

「・・・・・。」

 

「かごめ!かごめー!」

 

 

 

 

 

 

犬夜叉はかごめの体を抱き起こし叫んだ。

 

 

 

 

 

 

かごめ・・・・!

 

 

 

 

 

犬夜叉はすぐさま身支度を整えるとかごめを抱き抱え、

再び、かごめの実家のある現代へと飛び出した。

 

 

(かごめ!すまねぇ!・・・かごめ・・・!)

 

 

 

本当は手放したくなかった。

 

誰の目にも触れさせたくなかった。

 

 

それが例え、かごめの親とはいえ、

自分以外の誰にも渡したくはなかった。

 

 

 

 

『熱?・・・大した感じじゃなさそうだし、大丈夫よ。』

 

『すまねぇ・・・。本当にすまねぇ・・・。』

 

『・・・かごめよりあなたのほうがよっぽど心配よ?』

 

『俺は・・・、俺はいい・・・・。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かごめがいない世界など思いつかない

 

考え付かない

 

 

かごめがいないのなら、

俺には意味がない

 

 

 

生きてる意味がない・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

命を懸けて守るといえるのは、自分が半妖であるが故の自負からくるものなのか。

 

ならば、何故、かごめを思い焦がれる気持にここまで悩ませるのか。

 

 

強靭な肉体

 

強い力

 

妖力

 

 

だが、俺の心はどうだ

 

 

強さだけに固執していた頃は考えたこともなかった。

一人で生きることに疑問も抱くこともなく

誰かを思うことなど桔梗に会うまで知ることもなかった。

 

 

強い妖怪になりたいと思いながら旅をしていくうちに知るもう一人の自分。

 

 

誰かを思うことの苦しさと暖かさ。

 

安らぎとぬくもりはかごめが犬夜叉に与えてくれたもの。

 

 

 

『今は一人じゃないじゃない』

 

 

笑顔で応えたかごめは、さも自然に自分の隣で笑っていた。

 

自分自身、それが当たり前のように傍にといた。

 

 

 

だが、今は・・・。

 

 

思えば思うほど

怖さ、恐れが沸き立ってくる。

 

 

 

 

あの頃は失うはずはないと

 

 

思っていた。

 

 

強まり漲る『力』と

かごめといることで知る『心の脆さ』。

 

 

 

 

 

「かごめ・・・。」

 

 

 

かごめを実家へと送り届けてから

犬夜叉は寝ることもせず、

ただひたすら野山を駆け回り、

時には立ち止まり、

ただ一人きりの時間全てをかごめを思うことだけで過ごした。

 

 

真昼の太陽。

 

月明かり。

 

星空。

 

茂み萌る森の葉。

 

 

 

そこには必ずかごめの気配を捜し求めた。

 

 

いる場所はわかってはいても

傍にいない存在に心もとない不安が

今の犬夜叉の全てを支配していた。

 

 

 

俺には、お前が傍にいないと・・・

 

 

 

犬夜叉は金の眼を見開くと

思いついたように駆け出した。

 

 

 

(かごめ・・・!かごめ・・・!)

 

 

 

 

どうして全てが欲しいと思うのか?

恐れるまでに広がる不安は何なのか?

 

 

 

 

見出せぬ答え。

 

心の中の深遠たる闇。

 

 

 

 

半妖であるが故なのか。

自分自身にも理解しがたい二律背反する思い。

 

かごめ以外を考えたくない。

思いたくない。

 

 

 

犬夜叉はかごめのいる世界へと再び足を向け、走り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう日は暮れかかっていた。

 

戦国時代で見た夕日と同じであるはずの太陽も

ビルや家屋に遮られ、同じ面影を感じさせるのは

石畳に伸びた二つの長い影だけであった。

 

 

「この間は・・・。」

 

「いえ。・・・気にしてませんから・・・。」

 

「・・・・・。」

 

 

恭平はかごめの正面で項垂れたまま、

静かにかごめの呼び出した意を聴くべく黙って立ちすくんでいた。

 

 

「石田さんには、ちゃんと言わなくちゃいけませんよね・・・。」

 

「・・・何を?」

 

「・・・石田さんの気持に応えなきゃって・・・。」

 

「かごめちゃん?」

 

「正直、何も考えてなかったんです。」

 

 

かごめは両手を硬く握り絞め、言葉を続けた。

 

 

「私を好きだと言った石田さんに、ちゃんと応えなきゃいけなかったんですね。」

 

「・・・・・。」

 

 

少なからず、覚悟はしていた。

かごめの中に占めている彼の存在の大きさは

どうやっても見紛うことは出来ない。

 

だが、一縷の望みがないわけではないとも思っていた。

 

尋常ならない相手に果たしてかごめは幸せを見出せるものなのであろうか?

 

かごめを離さない頑なな彼の独占力は計り知れない。

 

何故、かごめがここまで彼に肩入れするかも理解できない。

 

 

若い故に周りが見えないほどの想いに駆られているのだろうか?

ならば、自分がその殻を打ち砕くことも可能なのではないだろうか。

 

 

「彼が本当に君に合うとは思っていないよ?」

 

「・・・・・。」

 

「君を傷つけているんだろう?」

 

 

思いがけぬ一言。

 

かごめは、ふと顔を上げ、自分を真っ直ぐに見つめる恭平へとようやく目を合わせた。

 

 

「彼には他に誰かがいるんだろう?」

 

「他に・・・。」

 

 

犬夜叉を闇の奥へと誘【いざな】う桔梗。

 

手招きをし、犬夜叉を連れて行こうとする桔梗。

 

 

今朝見た夢が再び脳裏に駆け巡り、影を落とす。

 

 

 

 

―――――悲しかったんですね?

 

―――――この世で一番愛した女性【ひと】を失ったことが悲しかったんですね?

 

 

 

 

蘇る妖しの言葉。

 

 

 

「・・・・彼には・・・。」

 

「かごめちゃん!」

 

 

恭平は人目を憚ることもなく、突然かごめの肩を掴み叫んだ。

 

誰もいないはずの神社の境内の傍。

 

恭平の荒げた声だけが響き渡る。

 

 

「わかっているなら、どうして君はそこまで彼を想うんだ?」

 

「・・・石田さん・・・。」

 

「他に想う人がいることを知っていて君はどうして・・・!」

 

「・・・・・。」

 

「かごめちゃん!」

 

 

恭平は掴んだ肩を引き寄せ、そのまま抱きしめようと腕をかごめの背へと回した。

 

だが、その手は最後まで行き着くことは出来なかった。

 

 

「彼は、誰よりも孤独に生きてきたわ・・・。」

 

「・・・・?」

 

「小さい頃から、見守ってくれる親もなく、たった一人で生きてきたのよ・・・。」

 

「・・・孤児【みなしご】なのか?」

 

「そう・・・ね。そんなものかしら・・・?」

 

 

恭平は腕を自分のほうへと戻し、かごめを見つめた。

だが、かごめは俯いたまま、言葉を続けた。

 

 

「彼はどこまでも孤独だったのよ。」

 

「・・・・。」

 

「一人で戦いながら傷ついて生きてきたわ・・・。」

 

 

聞きなれぬ言葉。

 

 

戦う?

 

 

何に?

 

 

恭平は叫んだ。

 

 

「おかしいんじゃないか?」

 

「・・・・?」

 

「戦う?孤独?なんだよ、それ。」

 

「・・・・・。」

 

「あいつは俺に言った。『君に関わったら殺す』と・・・!」

 

「それは・・・・。」

 

「何様のつもりなんだ?生きる?殺す?今時そんなこと・・・。」

 

「石田さん・・・・。」

 

「おかしいよ・・・。」

 

 

恭平の言うことにも一理ある。

 

この平和な時代になぜか飛び交う命の遣り取りを窺わせる言葉。

 

 

『かごめに関わったら殺す!』

 

 

あの時、睨みつけられたときの彼の眼差しは

恐ろしく光放っていた。

 

鋭い視線で自分を射抜き、

この間には、ものすごい力で飛ばされた。

 

かごめの体を片手で容易に抱き抱え、

立ち姿は忘れられない。

 

 

「俺にはわからない・・・・。」

 

「・・・・・。」

 

「彼の言葉もやることも考えることも理解できない・・・。」

 

「石田さん・・・・。」

 

 

恭平は、ぐっと握り締めていた拳を変え、

かごめの肩をもう一度強く掴んだ。

 

 

「そんなのおかしい!」

 

 

今度はかごめの体を間違いなく捕まえた。

伸ばした手を引くことはしなかった。

 

ここで、彼女を普通の世界へと取り戻すためならば、

今、抵抗されても掴んだ手を離すことはしないと言い切れる自信さえあった。

 

しかし、かごめは掴まれた肩に動じることもなく、

静かに恭平を見据え、毀れるような息で語った。

 

 

「彼はね・・・・。無くしたのよ・・・・。」

 

「・・・無くした?」

 

 

眉間に皺を寄せ、かごめの口から出る言葉に聞き入る。

 

 

「一番好きだった人を失ったのよ・・・・。」

 

「失った?」

 

「自分のせいで死んでしまったと自分を責めて・・・いるの。」

 

「・・・・・。」

 

「そんな彼を一人には・・・出来ない。」

 

 

 

 

一番好きだった人が死んだ?

自分のせいで死んだ?

 

 

 

 

「これ以上、彼を一人になんて私には出来ない・・・。」

 

「じゃ、君はその人の代わりなのか?!」

 

「・・・・・。」

 

「君はただの身代わりでしかないのか?!」

 

 

 

 

命に代えてでもお前を守る

 

 

 

 

真剣な眼差しで自分を見つめた彼の瞳に曇りは無かった。

過言でもなんでもない、その想いになんの迷いもなかったであろう。

 

 

「私は私。彼は私をちゃんと想っているわ・・・。」

 

「・・・・・。」

 

「石田さん、ごめんなさい・・・・。」

 

「・・・・・。」

 

「本当に・・・・、ごめんなさい・・・・。」

 

 

俯いた顔を窺い知ることは出来なかったが、

頬を伝う涙が石畳に毀れるのを恭平は見た。

 

 

「・・・・君は本気なんだ・・・・ね。」

 

「・・・・・。」

 

「次に俺を見つけたとき、隣には誰か違う女の子がいるかもしれない・・・・。」

 

「・・・・・。」

 

「かごめちゃん・・・・。」

 

「・・・・ごめんなさい・・・・。」

 

 

 

 

 

その一言だけを最後にかごめは自宅へと駆け出して行った。

振り返ることもせず、走り去っていく後姿を恭平はただ見つめるだけしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

次に俺を見つけたとき、隣には誰か違う女の子がいるかもしれない・・・・

 

 

 

その言葉は駆け引きにもならないが、

今自分に言える精一杯の虚栄と、

彼女が一番傷つかない台詞。

 

これ以上、彼女に想いを伝えたとて、自分に振り向くことはないだろう。

 

その黒い瞳は自分を見ることはないだろう。

 

だが、心の中に燻る苦い思い。

 

次に隣に誰かがいたとしても

それはきっと黒髪が背中に掛かるくらい長い髪の女の子。

 

大きな瞳で元気がよくて

強くて、優しくて。

 

そう。

包み込むような大きな心の持ち主・・・・。

 

 

「忘れられるわけがないじゃないか・・・・。」

 

 

走馬灯のように出合った頃の記憶が鮮明に蘇る。

 

 

だが、それは到底手に入れることの出来ないものでもある。

 

 

「失恋・・・って、こういうのなのかな・・・・。」

 

 

胸の奥が酷く痛い。

 

 

 

 

 

失恋・・・・

 

君も失う怖さを知ったのかい?

 

恋の終わりを・・・

 

君は・・・・

 

 

 

 

かごめの走り去っていった後を追うように目をその方向へと見やる。

 

 

 

 

 

『一番好きだった人を失ったのよ・・・・』

 

 

購うことのできない罪の意識と思慕。

 

恋の終わりなら、きっと今の自分のように胸の痛みに堪えるだけでいいだろう。

 

 

 

 

『自分のせいで死んでしまったと自分を責めて・・・いるの・・・・』

 

 

では、愛の終わりは?

 

・・・愛の終わりは、どんなものなんだろう?

 

君の

君たちの愛の終わりは・・・・

 

 

 

 

 

 

かごめちゃん・・・・・

 

 

 

 

 

 

恭平は、かごめのいなくなった神社の境内で一人立ちすくんでいた。

 

胸の痛みはあるものの

不思議と割り切ったように一点の曇りもなく

この恋が終わりを告げたことを諭し、

一人、夕焼けにくれた空を見上げた。

 

 

「かごめちゃん・・・・。」

 

 

空に浮かぶのは、かごめと初めて出会った頃の屈託の無い笑顔だった・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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