乱  ―4―             (2007.5.24)

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・犬夜叉?

 

 

 

ねぇ、待って

 

 

 

 

どこ行くの?

 

 

 

 

 

・・・・桔梗?

 

そこに桔梗がいるの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「や!・・・いや!犬夜叉ぁ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・。」

 

 

はっと我に返ったのは、窓から挿し込んだ日差しが

瞼に当たったせいだけではなかった。

 

今の自分の顔色を窺い知ることは出来ずとも

多分白いか、または青ざめていただろう・・・と

その割にはじっとりと掻いた汗が急激に体温を下げ、

ますます顔色を悪くさせていたのではなかったろうか。

 

 

嫌な夢を見た・・・・

 

 

真っ暗な中、銀糸を流した背は、いつか見た夕日に溶けていく

後姿を彷彿させた。

 

かごめを見ることもなく、進む先に

うっすらと浮かび上がったのは白衣を纏う桔梗が

犬夜叉を見つめ、手招きをしている。

 

白くのびた美しい手は、かごめの知っている墓土と骨で出来た

「それ」ではなく、犬夜叉だけが知っている生きていた頃の

生暖かき血が流れる仄かに桜色にと染め上げられた瑞々しい甲。

 

そこに向かい、犬夜叉が一歩一歩と歩みを進め、

かごめから離れていく。

 

 

幾度となく、その名を呼べど振り返るどころか、

いつしか自分の声さえ消え、そして・・・・。

 

 

「・・・・犬、・・・・夜叉・・・・。」

 

 

かごめは布団を跳ねるかのように飛び起き、

上半身を起こしたまま、未だ収まらぬ動悸に軽い眩暈を覚えつつ、

ゆっくりと自分の周りを見回した。

 

 

ここって・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どう?かごめ。少しは疲れ取れた?」

 

 

笑顔の奥。

 

僅かに見せる心配そうな思いを後ろに

笑顔で母親がかごめの部屋へとそっと顔を覗かせた。

 

 

「・・・・もう大丈夫よ。ごめんね、ママ。」

 

「熱も大したことなかったようだし、元気になったんなら、いいけど。」

 

 

母親はベッドの中にと蹲るかごめを見つめる。

 

 

「大丈夫だから、心配しないで。ママ。」

 

「足のほうは、もう腫れは引いたの?」

 

「大したことないから。」

 

「そう?」

 

「少し休んだらお風呂に入るわ。」

 

「なんかお腹にいれないと。」

 

「・・・・うん。」

 

「なんか用意しておく?」

 

「自分でするから、いいわよ。」

 

 

母親は、かごめの顔色を伺い、

具合のほうもたいしたことがないことを確かめるように

そっと手を額にあて、優しく微笑んだ。

 

 

「あんまり犬夜叉君に心配かけちゃだめよ?」

 

「・・・うん。」

 

 

その一言を残し、母親は階下へと降りていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり生身の肉体には応えたのか。

 

あの後、かごめの体に触れたとき気づいた異変に

犬夜叉は取りも直さず、かごめを現代にと連れ帰ってきた。

 

 

『かごめ?どうしたの?具合が悪いの?』

 

 

心配そうに母親がかごめの顔を覗き込む。

 

 

『すまねぇ。・・・本当に・・・すまねぇ。』

 

 

かごめを頼むと言い残し、家を飛び出していった犬夜叉。

 

 

腕に抱いていたかごめを手放すときのあの瞳が忘れなれない。

 

惜しげならない、くすんだ金の瞳。

母親へと託したときの悲しげな表情【かお】。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

犬夜叉は戦国時代へとたどり着くや否や、

楓の村のほうに戻ることはせず、

そのまま、夜の闇の中を駆けていた。

 

 

かごめ・・・・!

 

 

握り締めた己の拳から滲み出る血。

 

人間と妖怪との間にと生まれた『半妖』の血。

 

 

見た目は人間と変わらぬ紅い血。

 

だが、その手より滴り落ちる血よりも

今頃になって気がつくかごめの流した涙の痛み・・・。

 

 

 

緋色の衣は闇に溶け要るかのように吸い込まれ、

そのまま姿を消していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軽く昼食を終え、風呂に入ろうと湯船に足のつま先を入れたとき。

廊下から電話のコール音が鳴ったのが耳に入った。

 

ごく普通の現代らしい日常。

 

かごめは深く体を沈めた。

 

湯船に張られた暖かいお湯が全身に染み渡る。

 

 

ふと俯き、何気に自分の腕を見つめると

思いがけないものに気がついた。

 

 

(・・・・これ・・・)

 

 

白く細い腕。

 

手首に見つけた跡。

 

 

 

(・・・これって、犬夜叉の指の跡・・・だ・・・)

 

 

 

激しい一夜を過ごしたあのとき。

 

その時はお互い夢中であったせいか、気づかなかったが

犬夜叉は思わず勢い強く掴んだのであろう、腕に残された指の跡。

 

不思議と爪で引っかいたような傷はなく、

ただ指の跡がそのときの激しさを物語るかのように

両腕に数本ずつ残されていた。

 

 

「・・・・・。」

 

 

かごめは、思いついたように湯船から飛び出すと

慌しくシャワーで浴室にかけられている鏡を流し、

曇りを取り払うと自分の姿、胸元を映し出した。

 

 

「・・・・・!」

 

 

体中に残されている、愛された跡。

 

それは、よく見ると首から下に幾つも残されている。

 

 

「・・・・あ・・・・。」

 

胸元に残された跡に手を宛て、その時のことを思い出す。

 

 

叩き付ける様な激しい雨音の中。

幾度も交わったときの犬夜叉の荒々しい息遣いと揺れ動く逞しい肩。

 

不思議と唸るように下腹部に何かが走る。

 

 

「あ・・・・、いや・・・・。」

 

 

愛されたはずなのに、体はそれに応えるのに

なのに、それに反して益々膨れ上がる切ない思い。

 

 

「犬夜叉・・・・、犬夜叉・・・・。」

 

 

出したままのシャワーに紛れるかのように大粒の涙を流し、

幾度となく愛しい名を口ずさむ。

 

掴まれた腕に残された指の跡が熱くなる。

 

 

「犬夜叉・・・・、犬夜叉ぁ・・・・!」

 

 

込み上げてくる思い。

 

溢れ出る大粒の涙。

 

 

かごめはタイルの上に蹲り、

犬夜叉の残した我が腕にと残された指の跡に口付ける。

 

肩を微かに震わせ、ようやく今堰を切ったかのように涙を溢し

嗚咽をあげつつも、それでも家人に気づかれないよう

気を配りながら、声を押し殺し、泣いた。

 

 

シャワーの音がかごめの泣き続ける声を掻き消すかのように流れ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「犬夜叉はまだ戻らないようですね。」

 

「・・・・法師様。」

 

 

地面へとしゃがみこんで何かを手に取る珊瑚に

背後から、弥勒が声をかけてきた。

 

 

「何を見つけたのですか?」

 

「うん。これ・・・・。」

 

 

手にしたのは一輪の萎れた花。

 

 

「・・・それは・・・。」

 

「多分、かごめちゃんが採ってた花だと思う・・・。」

 

「こんなところに・・・・。」

 

「・・・・・。」

 

 

珊瑚は深い溜息を尽きつつ、立ち上がり、

花が落ちていた場所から顔を移し、正面を見据えた。

 

 

その先には桔梗の眠る祠がある。

 

 

訪れる人が途絶えることはないことを知らしめるかのように

その墓標の前にはいつも季節の花が添えられている。

 

 

 

・・・・あの時、かごめちゃんが手に持っていた花だったよね・・・

 

 

珊瑚は萎れた桔梗の花をぐっと握り締め、頷いた。

 

 

小屋を飛び出していったとき、足元に落とした桔梗の花。

 

 

 

弥勒と珊瑚は、落ちていた花一輪から

かごめが何故、楓の小屋で泣いていたのか

思慮を張り巡らせることもなく自ずと答えを導き出す。

 

 

 

・・・・多分、見てしまったのであろう

 

 

 

犬夜叉がここに訪れていたときを

かごめは見つけてしまったのであろう。

 

 

 

人間となって共に生きていくことを誓い合った二人。

 

引裂かれてしまった運命。

 

四魂の玉と共に業火に包まれいく桔梗。

 

 

人に在らず、墓土と骨で蘇った、かつての想い人。

 

 

再会。

 

 

 

それはどう足掻いたところで消し去ることの出来ない過去。

 

 

僅かのすれ違いが生み出した悲劇。

 

封印された五十年。

 

復活と再会によって揺れた犬夜叉の心とかごめの思い。

 

 

弥勒は間近で、それを何度となく見てきた。

 

桔梗と犬夜叉の間にある二人以外立ち入れない過去。

 

 

 

だが、今を生きる二人の絆はそれを遥かに凌ぐことに気付いていないのか?

 

 

 

かごめ様の命を思う故に広がる不安。

 

それだけでも、間違いなく・・・

 

間違いなく、相手を思いやっているというのに・・・・

 

 

桔梗でさえ築けなかった深い信頼と思い。

 

 

 

 

「犬夜叉は、もう少しかごめちゃんのことを考えてやればいいのに!」

 

 

吐き捨てるように声を荒げた珊瑚に弥勒はすっと笑みを浮かべ、呟いた。

 

 

「大丈夫だ、珊瑚。」

 

「法師様?」

 

「あの二人なら、必ず超えられる。」

 

「超えるって、何を?」

 

「過去の柵【しがらみ】は過去のもの。生きるものには未来があるのですから・・・。」

 

「法師様?」

 

「今は静かに見守るのが一番なのだ。」

 

 

そういうと、怪訝な面持ちで自分を見つめる珊瑚を他所に

弥勒は改めて桔梗の祠へと手を合わせ、静かに経を唱え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暫くして風呂から上がってきたかごめを見つけた母親は

学校の友人から電話があったことを告げた。

 

 

「ああ、絵里?」

 

「そう。今お風呂に入っているからかけ直すって伝えたけど。」

 

「わかったわ、ママ。」

 

「もうママ、おじいちゃんのとこに行くけど大丈夫?」

 

「あ、今日は病院に泊まるの?」

 

「ええ。草太も親戚のおじさんちに行ったし。」

 

「肋骨の骨折、大丈夫なの?具合は?」

 

「元気よ。でも歳だしね。おじいちゃんもまさか

クシャミで骨折るなんて思わなかったんじゃない?」

 

「ごめんね。お見舞いにも行かなくて。」

 

「大丈夫よ。そんなに掛からないで退院しそうだし。」

 

「・・・・・。」

 

「それよりもかごめはもう行くんでしょ?」

 

「うん。夕方になる前には戻ろうかと思って・・・。」

 

「そう。気をつけて。戸締り宜しくね。」

 

「うん。ママも気をつけて。」

 

「キッチンにお菓子とか置いといたから、あっちの皆で食べて頂戴。」

 

「いつもありがとう、ママ。」

 

「犬夜叉君に宜しくね。」

 

「・・・・・。」

 

 

そう言って出かけていく母親を見送った後、

かごめは受話器を取り上げ、手馴れたようにダイヤルを押す。

 

 

自分は持っていない携帯の番号。

 

相手はすぐに電話に出た。

 

 

―――――かごめ?具合どう?

 

「元気よ。電話くれたって?」

 

―――――うん。石田さんにかごめが学校に来たこと伝えていたから

     その後、どうしたかなって思って。

 

「・・・・・。」

 

―――――石田さん、本気だよ?

 

「・・・・・。」

 

―――――嫉妬深いフタマタ暴力男より、ずっといいと思うけど。

 

「絵里・・・・。」

 

―――――ま、かごめの選ぶことだからね。

 

「・・・・・。」

 

―――――私はどっちでもかごめの味方よ?

 

「・・・・・。」

 

―――――本気の恋は応援するよ!

 

 

久しぶりに聞く級友たちの声。

 

元気のいい声は、一人泣いていたかごめの背を押すかのように

力を漲らせるのか、かごめに一筋の光明を見出させる。

 

 

「ねぇ、絵里。」

 

―――――ん?

 

「石田さんに伝えてくれる?」

 

―――――あ、メール?かごめは携帯持ってないもんね

 

「うん。ごめんね、使うようで。」

 

―――――いいけど、なんて?

 

 

かごめは一息つくと、

小さい声であっても、その口調は明確に言葉を述べる。

 

 

「石田さんに伝えて欲しいの。」

 

―――――なんて、送る?

 

 

 </